雨よりも晴れの日に死神は微笑む

昨日の日曜日も相良は晴れ。

私が天気のことを気にするのは雨が大嫌いだからです。

まぁ外に出ればロクなことは無いですし、低気圧が近づけば何故か頭痛に襲われて一層不快にさせられますからね。

晴れ好き海好きが高じて一定の晴れ間が期待できる沖縄に住処を変えたのもそのせいでした。

 

晴れの日が続いて喜んでいれば農家の方との雑談で、「雨が欲しい」という言葉を聞いたりすると、はしゃぎ過ぎた気持ちを抑えて夕刻の水やりのご苦労を慌ててねぎらいます。

 

其々の皆さんの事情というものがあって私が勝手に一喜一憂したとしても共感は得られませんが、そもそも天気のことですから、それについては誰にも文句など言えるものではありませんね。

 

しかし昔からよく耳にした例のシーン、「ジーン・ケリー」が雨中でノー天気に踊って歌う「雨に歌えば」とその歌詞、「I'm happy again!」などの気にはさらさらなりませんし、その心境たるや「いったい何?」と信じられない映像でもありました。

 それぞれの事情によって雨がよかったり晴れがよかったり。

まぁ色々あるのですね。

 

昨日のブログにCCRの「Fortunate Son(フォーチュネイト・サン)」を引き合いに出しましたが、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)にも「雨」にまつわる曲がありました。

タイトルは「雨を見たかい」です。

曲調のさわやかさとたんたんとしたカントリー調に好感が持たれたらしく、日本の自動車メーカーが以前からCMソングに使用していました。

まあ大抵の人は聞き覚えがある曲でしょうね。

 

その歌詞についてはまさに意味深、現在でもその作詞についての真意は不明です。要はその「雨」が日常のことを言っているのか非日常の比喩なのかなのですが後者の場合、どう考えても「反戦曲」となりますので、作者はその「レッテル」を貼られてしまうことの不利と他者へ利用されることの不快さから、ただの「雨」を歌ったのだ、との作者のおトボケをロックに造詣の深い「奥の墓道」と私は考えています。

 

さて私のいた沖縄ではあの年1945年の沖縄戦スタートの3/26から司令官自決による組織戦終了6/23までの大量艦船からの艦砲と空爆のことを「鉄の暴風」とか「鉄の雨」と呼んでいました。

歌の「Comin` down on a sunny day」(お天気のイイ日に降り注ぐ)という件(くだり)はどう考えても上記後者(雨の比喩)の方しか理解しえません。

 

それではユーチューブにあった「雨を見たかい 歌詞付」を探しておきましたのでリンクさせておきます。

 

爆弾投下時は目標と着弾点、効果を確認したいが故に「有視界」を選択するものなのです。「有視界」ということは天気が「晴れ」ということ。

実は1945年の8/6の天気概況を確認すると、台風一過の「ドPカン」それまでは荒天が続いていた様です。アメリカ軍作戦本部はその「晴れ」のタイミングを待ち続けていたということです。

 

その後の「ナガサキ」の件も天候状況は第一義だったそうで、当然に偵察機は先行して飛ばして、第一目標の小倉が視界不良ということで晴天情報の長崎に向かったそうです。それが曇天へと変化しつつあって、太平洋上への投棄をも選択肢に考え始めた頃、偶然に晴れ間が広がったため決行したと言います。

 

運命のイタズラとは言いますが天候変化のちょっとした変化の中で翻弄されてしまうことに人の命の儚さというものをますます感じてしまいます。

①画像、コレ1発で74000人。自分が亡くなる理由も知らぬまま。

 

また「晴れの日の雨」は私たちの一方的都合で相手に向かってそれを「降らせた」としたら、その怒りは次はこちらが受けるということを示唆しているようにも感じます。

「攻撃」して「勝ったつもりの天晴(あっぱれ)気分」など、まずは反撃にあって土砂降りなどいうことはしばしば。「桶狭間」を思い出します。

まずは、手を出せばやり返されましょう。悲しいかな、黙って「看過されない」、これが人間界の常です。一方的弱者であればそれはテロリズムと変化するのが世のならいです。

 

画像②は昨日突然来訪したボーイスカウトの子供たち。

相良のお寺を回っているそうです。

相良城にかかわるものを子供たちに説明するというお役をしばし引き受けました。

この子らに昔の人の責任の取り方「ハラキリ」についてつい口が滑らかになって、おしゃべりしてしまったのですが、一同理解が出来なかったようでその場が固まってしまいました。無理もないですね。

 

小5生だったようですが、無垢で礼儀正しい子供たちに接してほんのりとさせられました。この子たちが健やかにかつ無事に成長していくことが私たちの願いですね。