「何が楽しくて生きてんの? ははは・・・」だって

昨日は「顔が外国人風」だから英語がペラペラだろうという私の勝手な「思い込み」について反省したことを記しました。

これは自分のこれまで積み重ねた経験のうちその大部分が「お寒い」ものだったという事の「自らの暴露」であって、それを披露してしまったことによって「恥×2」と増幅する結果を招いたのですね。穴があったら入りたい心境になったものです。

 

まあ、政治屋さん諸氏御一同、その「思い込み」の最たるものでしょう。自分に都合のいい勝手なそれが横行していますね。

またよくいう「ストーカー行為」なども「思い込み」かも知れません。サザンの曲にありました、「思い過ごしも恋のうち」。

 

この「思い込み」はうまく利用して事を進めることができれば結果的に自らにとってイイ方向に向くことはわかっています。

要は「やればできる」「努力すれば報われる」で、どちらかといえば自分自身に向かって反芻、繰り返し言い聞かせて、それを固く信じてこだわりつづけること。

 

真宗門徒でいえば「深い信心」が必須ですのでそれを「思い込み」との努力と指摘されるのは心外ではありますが、私たちの真実の信心は「他力」でもたらせられるものですので、その機縁に遇うためには繰り返しその法に触れる必要がありますね。

幾度も善知識に向かって問い続けるスタンスがあってのものです。

 

そして何よりも私の「思い込み」が是非の判断となって他者に発せられた時、かなり波風が立ってくるものですね。

要は私たちそれぞれは価値感の相違があってしかるべきものですが、それを了承せず、その自らの価値感を押し付けるというのでは喧嘩が始まります。その意を顕わしたりまたは吐露することであってもいけない事かも知れません。

 

たとえば昨日のブログ、「CMの煩い民放テレビは遠慮したい」旨を記しましたが、これはあくまでも私の価値意識。他者がどうであっても全然構わないことであって人それぞれ、個々の価値感なのでした。

 

さて、標記は先日、初めて行った地元カラオケスナックで初対面の方が私に向かって吐き捨てた言葉。

その手の店に行くことになったのは、ある方(檀家さんではない)から「久し振りに食事でも」というお誘いがあり、成り行きで「次の店」ということでついて行ったのでした。ワンダーランドということもありますし。


勿論、私は酒は飲みませんし、「カラオケは絶対に歌いません」という条件付きでした。声明する坊さんだからカラオケがうまいという思い込みもウソ。度ベタですしそもそも演歌は一曲たりとも存じ上げません。 要は世間様の評価としては「お高くとまった鼻持ちならない堅物」のイメージだったりして・・・

社会勉強です。


ところが地元の店ですので案外と私の顔は売れていて、当方は初対面と思っていても同座の方々はこちらを「よく知っている」などということに。

場所が場所だけに気安く声をかけたつもりなのでしょうが、あの手(標記)の発言には結構慣れてはいるもののまたかと「ガッカリ」感はあります。

まるでどこかの坊さんからお説教を受けたような気もしないでもありません。生きる意義の欠乏を問われたような・・・勿論私は「ニッコリ」していただけでしたが。

 

まぁそれほどまでに皆さん「酒場の演歌」に命をかけているのでしょう。私は早々に退席させていただきましたが、未だに飲酒による交通事故が絶えない理由がわかったような気がしました。

良識ある皆様方、くれぐれも酒場で墓穴は掘りませんように。

むしろ私にとってあそここそ本当の意味の「墓場」でした。

それぞれの価値観が同居し交錯しているというのがこの社会であると。

 

「深い信念」という語が出ましたので久し振りに親鸞聖人の「御消息二十六」。

以前は抜粋だけだったと思いますので本日は前後含めて。

問いかけへの聖人の回答です。

 

『 尋ね仰せられ候ふ念仏の不審の事

念仏往生と信ずる人は、辺地の往生とてきらはれ候ふらんこと、おほかたこころえがたく候ふ。そのゆゑは、

 

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。

 

信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。

また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。

されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。

 

詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。

本願他力をふかく信ぜんともがらは、なにごとにかは辺地の往生にて候ふべき。このやうをよくよく御こころえ候うて御念仏候ふべし。

 

この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし。あなかしこ、あなかしこ。

 

七月十三日

     親鸞

        有阿弥陀仏[御返事]』

 

※最後の

「浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし」

が阿弥陀経にもある「倶会一処」の心ですね。

 

画像はこじつけ、以前息子とうろついた金武のベース御用達の飲み屋街の図。私はどこへ行ってもコーラかウーロン茶、そして日本茶。

私がこの世で一番うまいタコスを喰わせる店と思い込んでいる通称「キンタコ」。以前の画像です。また相良本通りでこういう店をやればイケルと昔からそう思い込んでいます。

ここのタコスを食さなくては沖縄に来た気がしません。

観光客はあまり知らない場所。ただし食べログにあり。