「沈勇温毅にして知慮多し」 竹中重治(半兵衛)

秀吉がその死を大いに嘆き、後継の軍師として頭角を現した黒田官兵衛(孝高・如水)の策師としての師匠でもあった竹中重治(半兵衛)の伝説的偉業は多様な軍記物読本の類に登場します。

そもそもその手の読み物は面白おかしく読み手を満足させなくてはなりませんので、「一事を十に」の如くかなりの脚色がされていて、どこからどこまでが史実であるかを推測するのは困難の領域、「まぁそんなもの」とぐらいのスタンスで読むのが一番です。


たとえば「栗原山中七度通い」などの囃しことばの類は「三顧の礼」の秀吉―半兵衛版ですが、三回→七回に倍以上の変化です。

私などは一度門前払いされたら二度と近寄りたくなってしまいますのでもしそれが本当だとすればかなりの忍耐強さを感じます。


その他枚挙にいとまがありませんが

「名将言行録」(岡谷, 繁実, 1835-1919,岡谷繁実 著 文成社 1911)巻の二十三~国立国会図書館デジタルコレクション~という書物に竹中重治の項があって、ただしその書は江戸時代に書かれたもので真偽根拠不明で俗説混在するといわれていますが、稲葉山城奪取の経緯から始まって三木城で没するまでの色々が記されています。

櫓から小便をかけられた屈辱からはじまってうまいこと弟の病気の見舞いと称して武器を隠して登城し、城番斎藤飛騨守を一刀両断にして、城主斎藤龍興を城から追い出すという有名なシーンからですね。


また、「良い馬は要らない」の談など「なるほど」と思わせるところ多々ありますね。これは合戦の際、あまりイイ馬にて参戦すると、馬が気になって仕事どころではなくなるということです。あくまでも馬は乗りもの、使い捨て、イイものは不要であるということですが、これは今の私たちの車のこと。

あまりイイ車に乗り過ぎると車に心配が行き過ぎ余計な配慮が多くなり、本来の仕事の邪魔になるということ。

中古のオンボロでいいということですね。


画像は稲葉山城(岐阜城)と「名将言行録」竹中重治。