寂しいニュース  残念 毎度のボヤキで恐縮です 

勝手な感情で申し訳ありませんが、学校の教師から「こういう輩がいる」という前置きの脅しがあって、内心「私ではありませんように・・・」とか「まさか息子では・・・」などと思ったりしますね。

だれであってもよろしくないこととは知っていながら、自分あるいは我が子がそう認識されていると思うことは辛いことでびくびくさせられるところです。

 

その感覚といえばよく私の母親が吐露していたことを思い出します。

授業参観や父兄会などに母親が参加した際、必ずといって教師が「勘弁してほしい」的ボヤキを遠回し的に語る「ある子供」について、まどろっこしいと母が突っ込んで聞けばまずは「私のこと」であったといいます。「まずお前だ」と嘆いていました。

今考えると気の毒に感じますが、それと同じことを今度は私どもが息子に感じていることに改めて「繰り返し」を思いますね。

 

歴史というものから辿ればその「繰り返し」(理論)については理解できるところですが、このたび驚愕の映像を目にして「やはり人間はこう繰り返してきたの?」などと思いました。

その画像(報道の導入部分)を見て私はつい、「静岡県内のことではありませんように・・・」と。また坊さんが事件を起こしたというニュースが入れば、本当は宗旨にもその職種にも関わらずに「あってはならないこと」とその社会を思量していかなくてはならない身ではありますが、ついつい「同じ阿弥陀様の下」で仏飯を食む者ではないように・・・という思いが先行したりします。

 

というのも先日、全国ニュースで報道されていた破廉恥事件―老人介護施設での架空介護架空請求事案―は静岡県内の施設でしたし、昨晩報じられていた事件、おそらく本日のお茶の間には各局で報道されそうなやはりあってはならないような事件もしかりです。

それでいえば他者の煩悩まみれの身と悪人正機を語る坊さん自身が法を逸脱してしまって、そのことは「私の身でもありました」の説法はさぞ実践的ではありますが、坊さんとしては失格の烙印を押されてしまいますね。

本当に辛くて寂しくていたたまれません。

被害にあった方は勿論、関係者の心情お察しいたします。

 

というわけでどこのどちらであったとして「本当はそうだったの?」と半ば日本全国「そんなもの」なのかと思いたくなるようでかつ驚愕の報道がありました。

これは「幸いにして」と言ったら叱られますが、静岡の話ではなく山口県内の施設の話。

国やら県やら指定されておカネがおりている支援学校とか養護施設の類だと思いますが、その内部を隠しカメラで撮影した画像でした。

 

要はマスコミ投稿の内部告発画像ですが内容は仰天、職員が知的障害のある生徒をブン殴ったり箱をぶつけてあるいはヤ○ザまがいの口調で襟首を持って「ぶっ殺す」的恫喝の様子を収めたものです。

 

投稿者によればこれまで内情を「下関市に虐待を通報したが、事前に行くことを告知するので意味がなかった。告発者は証拠が必要だとして施設内の撮影を行った。」との談。

 

知的障害者は親にもクレームや感情を思うように伝えられないことを知ってのことか施設内部では虐待が日常的に行われていたということでしょうか。

本当に「どこでも同じだろう」と思われるのは同様の施設就労者にとっては心外でしょうが、人間のやることは案外同じような事(どっちもどっち的)といわれることを思えば十分に有り得る事とも思えました。

 

虐待者の父兄に接する姿には微塵にもそのような態度を見せなかったといいます。よって対外的常識は持ち合わせているところは一般人と同様。

他者が見ていなければ感情の一線を超えるというのも「本来の人間の性質」と断じたらこれも怒られそうですが・・・。

 

いずれかブログでも記していますがもはや日本国内いたるところにありそうな絵空事を改めさせて真実を語るには「内部告発」が一番なのでしょうね。

内からの秘密の暴露は隠しようがありませんから。

そして飾らぬ日常と違法行為を知らしめられます。

 

組織内部でバイトの若者が無茶画像をアップして会社が倒産したり、閉店に追い込まれた例がありましたが、そっちの方もまた破滅的威力でしたね。

 

とにかくあのグーの音も出ないような画像を突きつけられた方々、親族に訴えられるのは勿論、行刑民(行政処分・刑事・民事)のトリプルで突き上げを喰らうでしょうね。

当初は指導の一環とか愛情表現とトボけていた方々があの証拠画像を見せられた時の様子は「遠山の金さん」を見ているようでした。何しろ凄すぎる事件。映像で残す事の威力も改めて知りました。そしてまた「人間」の一面を見せつけられました。

 

さて、上記はいわゆる「地方」で起こったことですが、今後東京圏の高齢者が飽和状態になるので、今のうちに地方移住(医療と介護可能な)を考えて欲しいという報告がありました。

 

これは日本創成会議なる団体がまとめたものです。

今後東京・神奈川・千葉・埼玉で高齢化が進行して、介護施設が2025年に13万人分が不足するとの推計結果が出たということです。

前年に出した出産年齢人口の女性が激減する「消滅可能性都市896市区町村」に次ぐ第2弾です。

 

想うに地方の女性が都内に出て仕事に埋没してしまうことが地方の婚姻困難状況となり、人口減少の原因につながっていることは確定的なのですから、これはやはり東京首都一極集中の弊害であることはあきらかです。

 

上京が集中して膨れ上がった人口からは必然的に要介護者が出ますので上記の報告は「今のうちに首都圏を離れよ」という親切なアドバイスでもありますが、ちょいと首を傾げたくもなりますね。

もっと早い時期に地方に分散させていれば・・・ということと「年寄りの受け入れ先は地方に」というのも虫が良すぎるよう。

 

地方女子の就労先は都内に不足している介護施設も多いことから地方に要介護の人口移動があれば、確かに介護者、就労者としての女子が残ってくれるというメリットはありますが・・・。

 

一方先日には静岡県の高齢者が100万人を突破して「高齢化率」が過去最高になったとの報道がありました。

 

65歳以上の人口(高齢者人口)が4月1日現在

101万1691人(2014年98万1071人)

総人口に占める割合(高齢化率)は26.8%(2014年25.9%)

 

高齢者人口のうち『高齢者の中の高齢化』75歳以上は約半数の48万5098人。これは過去10年間で1.4倍とのこと。

 

総人口はどんどん減っていく中、高齢化率は上昇し続け、推計によれば2020年は30%、2040年には37%に増えて行くと。

 

老齢介護者を地方に定住を勧めるのはいいかもしれませんが、国は子供たちを増やしていく方策についてもっと真面目に考えなくてはならないでしょう。

憲法や派兵の可否に時間を費やす政治に苛立ちを覚えます。

 

やはりすべて(経済・行政)を地方に分散していかなくてはならないでしょう。いい加減、口だけでなくて動かなくてはね・・・

また、もはやオリンピックはトーキョーを冠にはするものの地方分散でOKでしょう。今更東京に人を集める事の無意味に気が付いて欲しいですね。

 

画像は境内と地頭方の太陽光発電。このド田舎の牧之原市、何か始まるとしたらこの手の施設ばかりです。原発よりはイイですがね。