ちょいっとクマ捨てたでぇ 何してくれてんの

母とネコたちの話をしていると、「よくもまぁ捨てずに・・・」と呆れられましたが、その「捨てる」という言葉、久し振りに耳にしました。一昔前、ネコや犬が意に反して子供を産んだりすると機械的に「捨てる」という言葉が周囲から飛び交っていました。

特に年配者はその傾向が強いですね。生きものでも何でも平気で捨てていた時代でした。同時に人々は自然環境をも汚しましたね。


最近では、ペットとしての存在意義も確立し、飼い主の責任やマナーが周知されて、「捨て猫」等の語彙はそう聞かなくなりましたが、「寺だから何とか」というイメージがあって捨てる本人の罪悪感というものが少しは減るものか、私の知っている限り境内に2度ほど捨て猫がありました。

本当はもっとたくさんあったのでしょうが、私が気づく前にカラスがさらって行ったり、自力で何処かに出て行ったこともあったでしょう。


しかし公然と「ネコ捨てました」という人はこの時代、もはや居なくなりましたね。

そんなご時世、昨日「クマ捨てました そのクマ人を噛みました」というニュースがありました。

その内容については少々驚きましたがやはりこの時期の山歩きは、場所にもよりますが、怖いモノがあります。


先日静岡古城研究会の水野先生とお話する機会がありましたが、当然の如く春から秋までは「現場活動」は完全オフとのこと。

まぁ草木の繁茂によって遺構が確認しにくいこともありますが、蚊や蜂等の有害昆虫の餌食にはなりたくないですからね。

しかし私と「墓道」氏とは時間があれば夏であろうが何処にでも行くというスタンスですので上記の事は少々無視して出かけます。しかし山の怖さとしてどうしても外せないのがクマへの恐怖。かと言いながらまったく毎度準備なしというのもおかしな自分があります。


先日も岐阜垂井の菩提山を登りましたがすれ違う人はまず「クマ除けのベル」をぶら下げていました。

まぁ二人で山を昇る時はべらべらお喋りしながら、独りの時は何かブツブツ(疲れた、足が痛い、腹減った、喉渇いた、躓いた、危ねぇ・・ などなど)言いながら歩いていますのでクマやイノシシは「不気味な人の気配」を感じて息を潜めているのかも知れません。


話は飛びますが、近所の顔見知りのネコが道路上で寛いでいたのを見かけてつい車を停めて「お~い、オレオレ!」などと声を掛ければ、たまたま近くに小学生低学年の女の子が居て、その様子を見ていたのでしょう、私と目が合うと血相を変えて脱兎の如く逃げて行きました。


「不審者情報」(この地区は何をもって「不審者」とするのがわかりませんが、そんな人が出たら一斉メール配信)の受信はありませんでしたが、子供に声を掛けるのにも気を使わなくてはならなくなっているようです。


さて、標記「捨てたクマが人を噛んだ」という話。

三重県いなべ市で捕獲されたツキノワグマが滋賀県で放され犬上郡多賀町で「事件」を起こしたというニュースでした。

概略は

「三重県獣害対策課によると、同県いなべ市で今月17日、ツキノワグマ1頭が捕獲され『麻酔で眠らせた上で、滋賀県境の山中に放した』と発表。しかし、実際には三重県の放獣担当者は県境を越え滋賀県多賀町でクマを放したが、滋賀県に連絡していなかった。その後、同町で27日に女性が自宅近くでクマに襲われ、頬骨を折るなどの重傷を負った。」

ということで滋賀県の担当者はカンカンになって怒っているということでした。人に手荒な真似をされて眠らされ、次目が覚めて歩けばまた人がいた→襲う という図式でしょうね。


まったくゾッとするニュースでした。内容はともあれ、「やはり居るんだ・・・」ということと「人を襲うんだ・・・」ということ。

場所が場所で近江です。最近は伊勢道、新名神がやたら混むようになり、また東名神は名古屋市内がいつも混みあいます。

そこで私は京都方面あるいは湖東にいて相良に帰る場合、事前情報を得て桑名までは下の道を行くという選択肢の採用に結構ハマっていて、今回、クマが捕獲されたいなべ市はその通行域となっています。多賀は東近江のさらに東、鈴鹿山脈の北側で関ヶ原や米原・彦根にもに接している場所ですね。


何を申し上げたいかと言えば、「私たちがよく出没する場所」ということですね。だいたい私はクマの事件のあったその日は東近江からいなべに抜ける永源寺ダムでお馴染みの国道421号線を走っていました。

まず車両通行のみ、車から降りて山道を歩くことはしませんからクマとの遭遇はあり得ないとはいえばそうかも知れません。

この道は私の好きな道。何しろ皆さんも一度チャレンジすることをおすすめします。永源寺さんもいつかは立ち寄ってみたい場所ですね。


鈴鹿山脈といえば家康の伊賀超えや薩摩島津の関ヶ原敗走の中央突破での「帰郷経路」です。家康は堺から四日市、島津義弘は関ヶ原盆地から堺へ向かいました。


永源寺ダムが作られた愛知川(えちがわ)源流域で渓谷は深く景観はまさに雄大、それはクマのひとつや二つ出てきても決しておかしくない場所ですね。

それだけにあの山と谷の高低差に深々とした緑一色の世界から家康や島津らの必死さが伝わってきます。


私が好きな道というのは勿論そのスケールの違う、自然の真っ只中の通過ということもありますが、大型車の通行が制約されているため、非常に走りやすいということです。

特に圧巻なのは、2011年に開通したばかりの峠道のバイパスとして作られた「石榑(いしぐれ)トンネル」の通過です。


鈴鹿山脈をいなべ側に貫く殆ど直線の、4157mと長いトンネルです。近江方面からの行程ですと下り坂になり、走り易さこの上ありません。スピードの出し過ぎ注意です。

おそらく夜間は殆ど車両通行は無いのでは・・・ということで最初に思う事は、なぜこんな山の中にこのような素晴らしい道路が・・・でしょうか。


421号は現在二車線化工事が続けられていますので完成すればより多くの皆さんがこちらを使うようになるでしょうね。

しかし大型車が通るようになったら事故が多くなるでしょう。

⑦⑧は4月の桜の季節の永源寺ダム。他はクマの出た日に撮りました。