「門徒はそもそもバカ」だからか「 門徒は物忌を知らない」からか、どちらが大元の語源であったとしても世に言う「門徒もの知らず」なる言葉に関して、私としては「どうでもOK!!」と。
これはむしろ胸を張っていい、誇らしく自慢すらしたくなる言葉でもあります。なかなか古い門徒衆の姿は時代と共に薄まってきて江戸時代の儒学者、太宰春台が
「一向宗(浄土真宗)の門徒は、弥陀一仏を信ずること専らにして 他の仏神を信ぜず、 いかなることありても祈祷などすることなく、病苦ありても
呪術お守りをもちいず みなこれ親鸞氏の力なり。」
こう驚嘆の言葉で記した頃からは、門徒衆から逆に「そうだったの?」と仰られるくらいにその頃の考え方とは違って来ていますね。よってこのブログでも折りに触れて「もの知らず」は記していきたいと思っています。
もしや悪意ある人の「あ奴らはバカタレだからモノを知らない」などという意見が含まれたとしたら尚、面白い言葉ですね。
怒りにまかせて人を罵詈する姿ほど見苦しいものは無いですし・・・。私はヘマの多さや無知ぶりをしばしば露呈させている身ですので、その言葉は「ごめんなさい・・・」の理由として重宝しています。まぁ「ものを知らない」のは世の「坊さんと先生は・・・」の批評に違わず私の場合は「ホントのこと」ですから。
親鸞さんの時代もやはり、庶民の風俗でその土俗的というか、仏教的教義からは逸脱した「習わし」についての「やれやれ感」というものはその御和讃に伝わっています。
「悲しきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」
さて「日の良し悪し」について、本来はあの中国発のおまじない発祥の「大安吉日仏滅友引・・・」について今一番に思いつくところですが、何より私など「一番の煩悩具足」だなぁと度々思うことは「お天気の良し悪し」についてです。
これこそ文句言っても仕方ないことと一番わかっているのではありますが雨天曇天を恨めしく思ってしまいますね。
とかく日頃は「晴れもあれば雨もある」などと達観の風を決めこんでいる私がありますが、いざイベントの予定があると、その悪天にぼやいてしまいます。
どうにもならないような事を「ぼやく」のは余裕のある証ですね。悪天は「集中力」を欠き失敗や事故の元ですからやはり天気はいいに越したことはありません。
昨日はズブ濡れでテント張りや焼き芋屋の準備。
「どうにでもなれ」といつもの「勝手にしやがれ」の独り言。
婦人部に各世話人の皆さんありがとうございました。
画像は「昨年はいいお天気でした・・・」です。
今年最大の天体イベント、皆既月食は当地の予報では今のところ無理っぽいですね。
一応タイムスケジュールは
・部分食の始まり/19時15分
・皆既食の始まり/20時54分
・食の最大/21時00分
・皆既食の終わり/21時06分
・部分食の終わり/22時45分
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