「Jump」の期待も 「got it bad」のぼせあがる 

色々ご縁が重なって何とか彼(愚息)の目標にしていた学校へおかげさまで進学できたことはブログで記した通り。

4/1は世の新年度入り、彼の入学式の日でした。

ある檀家さんのお母さんも、ついつい色々なことを思い出して「保育園の卒園式では泣いちゃった」などと、ぶっちゃけられたり、子の次のステップへ向かっての「Jump!!」を目を細めて、大いなる成長を期待しながら見守っている姿を拝見する時節でもあります。

 

愚息は昨年秋、進路が早々に決まって以来、「お調子こいた」怠惰な生活の様を晒しては私の神経を逆なでさせていましたが、ついにあの者も、観念してあちらでの殆ど180°激変したかのような生活へと突入していきました。

 

今頃さぞかし吠え面こいて、冷や汗をかいている姿を思い、「ザマを見ろ」と連絡を入れてみると、そんな嫌味もどこ吹く風、「順応」しているフリだけは見せていました。

 

昨日の入学式の最前列の席で「コックリ」しているという情報を得ましたが、まぁ緊張感というものをまったく持ち合わせていない男です。

私としても居眠りに関しては、人様を罵倒できる身分ではありませんが少なくともある程度ああいう場合は緊張していたものです。

緊張しすぎて壇上のエライ方の言っている事が耳に入らず、結果居眠りが出てしまうということがあったかもしれません(私はかつて入社式で居眠りして社長ご指名でその場をつまみ出されたことがあります)。

 

よって私は法要中に居眠りしている方がいらしても「怒る」という気持ちにはなれませんね。むしろ「心地よく居眠りができる」空間を提供したということで誇らしく喜ばしいことだと思っています。

 

ちなみに「どうせ居眠りをしていても怒られっこない、許してくれる」ので「寝ちまおう」というようなことであったとしたらそれを真宗では「本願ぼこり」と言って、「絶対にダメなこと」と定義しています。

故意に近い失敗も全部「オーライ」、「これぞ悪人正機!!」と宗旨が捻じ曲げられてしまいますので。

 

先生方としても入学式となれば「面白いこと」を言うワケにもいかず、型通りの挨拶のみの場で、話がつまらない(失礼!)のは致し方ないのですが、やはり聞く者としてはこれからの「希望に満ちた生活」というものが描けていれば、「善知識」の話には耳が行くものですがねぇ。あいつにはまったく先が思いやられます。

 

自分自身の力量にのぼせあがる個人が多々いる中、のぼせあがる(熱中する)「善知識」の複数を作ってもらいたいものです。

 

「自覚と責任」に関しては親と同じに、ごく遅いはずですので、どうこう頭を悩ませ焦ったとしても詮無きこと。

「4年間おまかせ」、南無・・・の心境です。

 

さて、標記「Jump」と言えばVan Halen (1984)の「Jump」を思い出さないワケがありません。

まさに軽快、希望に満ち満ちた曲でした。一時は何処でも聞こえてきたほどのポップなロックでした。

「奥の墓道」や「I氏」等私のロックの先生、哲人からすれば少々「軽過ぎ」「ポップすぎ」とご批判を受けましょうが・・・。

皆がそれぞれ分かれた後にヒットしたグループでしたし。

 

「got it bad」は「のぼせあがる」の意ですがやはりVan Halen の「Hot for Teacher」の中で連発しています。

やはりボーカルはデヴィッド・リー・ロスがイイですね。

 

その曲の如く「のぼせあがる」のは「自分」(増長・独善)では無く、先生「善知識」へであって欲しいもの。

若き者第一は『指針をはやく見つけて修正していく』が要です。

 

「I氏」はブログ初見です。地頭方出身埼玉在住の同級生です。昨年末に30年以上ぶりに墓道加えた3人で忘年会をしました。ブログでも記したことがありますが菅山の新興宗教に入信して自死した「S氏」の墓参りも兼ねていました。

 

「I氏」の親類が檀家さんでその縁者の通夜席で声を掛けてきたのが発端。僧侶控え室に乱入してきて、声はデカイし驚きながらも困惑しましたね。

彼の異名は「チャート魔」。

大学ノートにビッシリとビルボードヒットチャートを記していました。夜はずっとラジオを聞いているので昼間は授業中居眠りしていたような覚えが。

ロック狂3人(墓道・I氏・S氏)の中にいて私は聞く専門ではありましたがその世界をのぞき見していました。

 

京都も小雨。円山公園枝垂れ桜と祖廟入口。

入学式に「三誓偈」があるのですね。

四日には本山へ挨拶へ行くとの事。本堂でも椅子ばかりで正座を拒み続けていた男です。いよいよ恥を重ねていければいいですね。

これから名実ともに「正念場」です。