かかることは文にも見えず、伝へたる教へもなし

標記文言はお馴染み徒然草から。

しかしそういいながらも、その手の「対応対処不可」の状況、いわゆる「お手上げ」で切羽詰まったことは案外あったように感じます。

 

とはいえ吉田兼好の心中は少々苦笑気味であることも覗え、今風に言えば「呆れ果てるほどのバカ」について語っているようにも思えますね。

「これも仁和寺にある法師」53段です。

その前に「仁和寺にある法師」で法師=坊さんのちょっとしたアホ振りを語っていますのでその「次の仁和寺」ということになります。前段が年寄りの法師、次段が稚児法師ですから兼好さんの示唆は「坊さん老若関係なくみんなバカ?」

 

内容は稚児法師を卒業?し、正式に法師となる酒宴で、おっちょこちょいの法師が、寺にありがちな金属製の大型香炉鉢をお調子に乗り過ぎて被って踊り、周囲を大いに盛り上げたものの、どうにも取れなくなったという話です。

悶絶したうえ医師の元に担ぎ込まれ、標記の言葉で放り出されたのでした。

 

今考えるに、どうにもならないことで、結局力任せに(なりふり構わず)「えい、やぁ」の一声のみの解決策という選択肢は、あるものです。

そして何より、坊さんが酒を飲んでハメを外すというのはロクでも無いことが起こるかも・・・的警告をしているようにも。

 

当初私が印象深く思ったフレーズは「耳鼻欠けうげながら抜けにけり」でした。

目出度くも頭から抜くということはできたものの、「耳と鼻が・・・」ということがショッキングでしたね。

 

本文はあまりにも有名ですので各自お調べを。

ハッピーエンドとは到底言えず、かといって命だけは助かったというお話。

最近では、異常・無謀ともいえるようなことを「ノリ」だけでやらかすという人を散見します。

どの世界にも。

ハメを外すのもほどほどにしなくてはね、自戒を含めて・・・。