「アンジェリーナ」の「アンブロークン」

オヤジ世代の洋画ファンにとっては忘れられない「真夜中のカウボーイ」。以前は結構テレビで放映されていましたが、最近は「古典」の部類に入ったか、さっぱりお目にかからなくなってしまいました。

 

足が悪い狡猾そうなチビ(ダスティン・ホフマン)「ラッツォ」人のいいカウボーイ(田舎者)の「ジョン」。

成り行きで繋がった不思議な二人の友情とうまくいかないそれぞれの人生を描いています。

一旗揚げようとしてもその夢の儚さに頓挫し、人生につきものの「病い」に伴う肉体的疲弊と衰弱、そして「死」へ向かうであろう道にそれらの夢さえも遮られ、観ている者に歯がゆさと苦み寂しさを感じさせました。 

若さに満ち溢れた頃の我らの心に残る1本でしたね。

学校内ではその手の映画好きの仲間内で、足を引きずりながら歩いて「ラッツォ」の真似をしたりして笑わせたものでした。

 

殆ど「ラッツォ」のイメージが強すぎてカウボーイは「2番目」のイメージでしたが、彼「ジョン・ヴォイト」もこの映画の好演が評価されて以降たくさんの映画に出演し演技派俳優として確固たる地位を築いていきます。

 

さてこのジョン・ヴォイトの娘といえばアンジェリーナ・ジョリーでその夫がブラッド・ピッドということは御承知のことと。

誰もが羨むセレブリティな夫婦であることは間違いないところですが、彼らの子供たちのこと、それはそれは真似のできることではありませんね。子だくさんではあります。

 

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)親善大使になったアンジェリーナの慈善活動については殊に有名ですが、そのころから孤児院から養子を迎えています。

カンボジアを筆頭にエチオピア、ベトナムから計3人、そして実子3人の6人の子供たち。また、毎年?の各慈善団体への寄付の額も半端じゃあないですね。

世界中の弱者から敬意を集めているハリウッド女優と言うことができるかも知れません。

 

さて、彼女が監督した新作映画「アンブロークン」について、今の日本人の心の狭さとてっきり消えていたと思った異質な不気味さを感じています。

 

主人公、アメリカンヒーロー(中距離オリンピック選手金メダリスト)の自叙伝を元に映画化されたもので、子供時代から戦時下の太平洋の漂流ののちたまたま日本軍の捕虜となってその日本の敗戦によって自由となったという「苦難満載」ストーリーです。

 

「決して挫けない」のタイトルの通り、次々と難題が襲ってくるのですが、その日本の収容所に於いて彼が虐待されている様子が「反日」であるとのことで、世界で日本のみ封切公開されていないという状況が続いています。

本当に恥ずかしいことかつ不思議です。


世界の人は観る事ができて日本国内の人間がそのことを知らない、知らせないということがオカシイ事ですが、何か「都合の悪い過去の事」を隠したいという意図が丸見えなのです。

映画には東京大空襲のシーンもあって、戦争というもののナンセンスを盛り込んでいるといいます。アメリカで観たという人の評価では偏ったそれ(日本批判)とは違うそうですよ。

 

最近は「日本は他国のアレと違ってとっても素晴らしい」的優越感をピックアップした番組企画ものが溢れていますが、やはりダメな所、過去の失敗にも目を向けるべきですね。

被害者意識はあっても加害者たる自身を忘れて驕るのみというのも愚の骨頂です。

一歩譲って「反日」(もともとその意味たるや不明)であると仮定して、その「反日」であったとしても耳や目をふさぐのではなく、それらの意見に膝を交えてしっかりと聞くという態度が大切です。「反日」という言葉が都合よく独り歩きしているようにも感ずる昨今です。

 

どちらにしろ、この映画の配給先無し、封切予定無しのドタバタは却って日本人のお粗末さを世界に知らしめたようなもので、より滑稽に見えますね。

映画の内容はやはり「決してくじけない」であって子供たちに見せたいような映画です。

この日本のアンジェリーナへの仕打ちが逆に宣伝効果満点となり興行成績が上がるという現象には気が付かないというのも愚かですね。みんなが観たいと思うのです。

 

それにしてもアンジェリーナはカッコイイですよ。

最近、日本の過去のアイドル崩れというか「昔の名前で出ています」風の歌手が何故か政治世界に居ることは知っていましたが、その人が戦後世代にもかかわらず大日本帝国時代の戦争遂行スローガンを口に出していたといいます。

 

奇異でみっともないと思いました。

過去にスポットを浴びたことのある人はその傾向があるようですが(スポーツ系、作家系諸氏も居ます・・・)自らの「埋没」を畏れているのか時折、奇抜な意思表示をするものです。

注目してもらいたい、今一度スポットライトを浴びたいが故の方策と思うと悲哀さえも感じますね。

 その手の輩を選んだのも私たちだから文句は言えませんが・・・。

 

国会議員の国政選挙はアイドルの代表選挙とは違います。

しかし今の議員のセンセ方を恰も国民レベルではそれと同等の娘や芸人たちと勘違いしているが如くです。情けないですね。

 

そして何より我々はもっと過去の戦争を反省するという雰囲気をつくらなくては、日本人の狭量さのみを際立たせるということに気付かなくてはなりません。

カッコイイ日本人とは国内のインフラだけでなくその国民の心の大きさも問われるのですよ。

 

たまたま昨日、日本に逃れてきたシリア難民の方の認定訴訟が提起されていました。日本はこれまで難民申請による認定は皆無―0%。先進諸国が90%代であるのに対して異常とも思えます。

いつまでたっても「島国根性」が抜けませんね。

国際貢献とグローバル?・・・甚だ笑止。

こんなものなのですよ、日本の国は。

もろ手をあげて自画自賛していては進歩というものがありません。みんなで反省しましょう。

 

画像は昨日の境内の一コマ。今年初めて半袖にて境内作業。