佐栗谷トンネルは町の境界 オットの道②

御前崎の新野地区からトンネルを超えれば菊川市。

地名的には「佐栗谷」ですね。

御前崎池新田から菊川方面へ向かう現在の37号線の切通しは新設されたもので、以前はこのトンネルを使用していました。

 

切通しでもトンネルでも菊川(旧小笠町)に抜けてスグのバス停(菊川御前崎線)は「佐栗谷菊川南陵高等学校入口」という名称になっています。

その学校は「国際開洋第一高等学校」に名称変更したり、野球部が急に強くなって県大会準優勝したり、「次は・・」と注目していれば部員が不祥事を起こして出場を大会中に辞退したりと色々お騒がせの高校です。個人的には応援していますが・・・

 

現在でも浜岡―菊川間のバスはこの切通しは通過せず、新野の部落内を通過しています(場所はここ)。

そしてそれ以前・・・「オット」はこのトンネルの隣、西側のトンネルを走っていました。バス道より長いトンネルだったそうです。

オットの遺構は殆ど忘れ去られた歴史として消え去っていますが、唯一この佐栗谷トンネルの脇に残されていたのでした。

 

私の小中学時代の遊び場の中に小田原城直下や、城山に点在した防空壕や病院廃屋がありましたが、もしこんな立派なトンネルがあったのなら入り浸ったかもしれませんね。ただし今は排水が悪く、トンネル内と線路跡は水浸しで、あの暗がりには入ろうという気もおこりませんが・・・。きっと親としては「あそこは危ないから近寄るな」と言うでしょう。

しかしあのトンネルはイケませんね。中で崩落していて、開口部は菊川側のみ、いつ崩れるかもわかりません。

保存するにはおカネがかかるでしょうが、菊川市と御前崎市の間で義務のなすり合いもあるかも知れません。

ただし「遺跡」は菊川側になりますね。

 

それにしても世の男の子たちはどこで遊んでいるのでしょう、外でたまに見かける子供たちは女の子のグループばかりです。

 

「オットの道」は軽便の「堀之内軌道」というのが正式名称のようです。オットー・ドイッツ社製(ドイツ)のディーゼル機関車で1923年から走ったとのこと。名はそちらからでした。

 

画像⑭はトンネルの隠れる笹の藪。⑮菊川側黄色矢印辺りがトンネル(赤矢印)へ続く「道」。

堀之内軌道
路線総延長 14.8 km
軌間 762 mm
leer
東海道本線
BHFq
堀ノ内
exKBHFa
0.0 堀之内駅前 1926-
exBHF
0.1 堀之内 -1926
exBHF
0.7 五丁目
exBHF
1.1 万田橋
exBHF
2.0 三軒家
exBHF
2.7 円通寺
exBHF
3.4 西横地
exBHF
土橋 *
exBHF
4.4 奈良野
exBHF
4.9 上平川
exBHF
6.1 城山下
exBHF
6.8 平田
exBHF
7.1 橋本
exBHF
8.2 赤土
exBHF
虚空蔵新道 *
exBHF
9.4 南山 (I)
exBHF
南山 (II) 1923?-
exBHF
9.8 南山学校前
exBHF
8.8 川原
exTUNNEL1
佐栗谷隧道
exBHF
11.6 新野
exBHF
12.3 木ヶ谷
exBHF
13.5 大橋
exBHF
14.0 苗代田
exKBHFe
14.8 池新田


堀之内軌道の各駅と詳細そしてオットの現存画像(ヤマサ醤油第一工場)ウィキペディアより。

 

画像①②塩買坂よりさらに相良寄りの台地西端からの日没。日没と同時に東から昇った月。殆ど太陽-地球-月は一直線?

5日の夜の月は1年で一番小さく(約14%小さく)見えるとのこと。4画像は相良の町。

6日が満月で太陽は2分早く(6:05)日出、1分遅く(17:40)日没。3分も日が長くなります。そして啓蟄。


コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    ごち (火曜日, 30 6月 2015 23:04)

    地元に住んでいた者です。
    佐栗谷隧道は、自分が幼少の頃(30年以上前)には、御御前崎側も開いていました。
    大雨で入り口付近の崖が崩れて、その後、入り口を塞ぐ様に平らにされています。
    当時は、入り口のアーチが見えていました。
    中は掘りっぱなしの様で、父に聞いた話しでは、2つの横穴が有るとの事です。真相は定かではありませんが。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 01 7月 2015 11:33)

    ありがとうございます。
    あの手の遺構は通常ならば史跡指定されたのち維持管理されるのが普通なのですが現状の有様はとても不思議に感じます。
    御前崎市の史跡等へのスタンスがあの様では無理かも知れませんね。
    お金はあるはずなのに・・使い方が土木と住民サービスに偏重されているようです。

    貴重な情報をありがとうございました。
    次世代へこういったものがあったということを伝えて行かなくてはなりません。