京都の宿泊  重宝でしたが・・・  松永久秀の墓 

京都での宿は各所適当に選んで投宿しています。

以前、京都に叔母という巨大スポンサーが健在だったころは、京都駅の上にそびえる豪奢なホテルにご招待いただき、たらふくおいしいものを御馳走していただいたものですが、それはもはや昔話。

今は経済的理由もありますが車の利用ばかりで、立地についてはこだわる必要はありません。よって部屋でネット使用、駐車場付き、そして何より「安価」な場所を選んでいます。

 

京都の人気は世界的ということもあって、終末や連休、オンシーズンはどこもベタ混み。予約は余程早い段階でしていかないとうまいこと計画が立ちゆきません。

京都行に関しては元々上記のように人が混みそうな時分は避けていますが、車の移動ですので私は京都にこだわらず大津周辺も選択肢に入れていますので、直前予約でもまず困ったことはありません。

 

しかしながら、大津より時間計算がしやすい京都の中心地、これまでに何度か私が使用した便利なホテルがありました。過去形は何故か直近のネット予約ができなくなってしまったようなのです。バカ高く無くて立地的に最高でしたね。京都東急ホテルは西本願寺の北隣、お東の方にも遠くはなくて周辺散策には持って来いの立地です。

 

宿泊は食事抜きにして素泊まりでOK。通りを隔てて目の前にファミレス(ロイヤルホスト)があるのが最高。ホテルの朝食は事前予約が必要ではありませんので、直接レストランに直行してもいいのですが、中国系の団体客御一行と鉢合わせすれば、「朝から行列」ということにもなりかねません。

まあどこでも同じようなものですが、今は何処のホテルも外国人だらけ。いまどき主義主張宗教の違いでバッシングしたり嫌がらせをしたりする輩が出ますが、仲良くしていれば何事も賑やかくなりますね。


ということでホテル側としてもネット大手の代理店を介さずに十分大口様が入っていてけち臭い?宿泊客をちびちび取る必要は無いのだと勘繰りたくなります。

 

堀川通りを渡ってホテル前のレストランで朝食を取ったら散歩は松永弾正久秀の墓が近くにありますのでそちらへお参りするのは如何でしょう。その通りと五条通りとの大きな四つ角に架かる陸橋の対角側に降りてスグ、妙恵会総墓所にあります(場所はここ)。こちらの墓園は元は松永久秀の邸宅跡といわれています。彼は日蓮宗大本山の本圀寺塔頭である戒善院の檀徒であったとのことで、墓地寺域として寄進したそうです。

 

基本は徒歩ですね。この辺りの道は細く車を停車するのも憚られる場所です。

また、墓には看板等が立てられていませんので、発見に時間がかかります。①の水道施設から見て右側の墓域、通路側を探索ください。墓石としてはむしろ④の方が古そうです。

 

松永弾正はブログ(信貴山城 2012.10.25 2013.01.09 2013.01.10 )でもかねてから記していますように、戦国時代でも特に異常性を持った人で、一人の「人間」の生き方としてもまったくの謎、とても興味深い人物です。

 

松永久秀「妙久寺殿祐雪大居士」と息子の松永久通「高岳院久通居士」法賢院宗秀居士は不明。右側の「久通」から推測すれば「松永宗秀」?なのでしょうか。

しかしかなりあとになってから建てられた墓ですね。

 

かの有名な平蜘蛛釡を道連れに爆死して果てる前に信長へ人質に出していた孫二人(久通の子)は六条河原で斬首されていますが、それを承知の上で反旗を翻したというのも不思議の一つです。人質殺しは見せしめとして当然の如く行われた時代でした。

 

松永弾正久秀は東大寺はじめ寺を焼き払うことに躊躇しなかった人です。やたらと火をかけた人で当時焼き払われた寺と焼き出された人々は大層困ったことだと思います。今となってはただ歴史上の梟雄として面白く語られていますが彼を恨んだ者たちは少なからずいたことでしょう。

 

⑤⑥は京都駅上のホテル付近。⑥今コレに火を点けると御咎めを受けて1000円上納することになります。