遠い遠い西国の地 浄土の救い 口惜しや

「遠くて近い」のを現代バージョンで記せば「インターネット」でしょう。

遠隔地、地球の裏側の情報がアッと言う間にお茶の間に届いてしまいます。清少納言もビックリですね。

 

さて「紋切り型」という言葉の形容があります。

古くは「型通り」の仕上がりですので期待通りの出来として「良品」の事を言いました。それに反して「型破り」という語があるくらいです。

今は、前者は「小役人風情」、後者は「むしろ好漢」といったイメージでしょうか。

 

そして本日ほどその「紋切り型」を思った日はありませんね。

「紋切り型」は前述の如く、正論と言えば将に正論なのでしょうが、私たちはどうしても情緒的な生きもの。感情起伏の矛先をどちらかに向けなくては、どうにもならないような感情に早朝から襲われてしまったのは、私だけでは無かったでしょう。

 

その「正論」の裏にはホントは「秘密の工作」というものがあったことは、どなたでも承知のこと。いわゆる「水面下」という語が飛び交っていましたが「国家的裏工作」という奴ですね。

今となっては先方様は「最初から交渉をする気は無かった」などという推測を後付の如く吐露する評論家もいるようですが、私には後藤さんに関してはあちらさんは条件次第では解放したいという気持ちがあったと思っています。


荒唐無稽ともいえる巨額の「身代金」という条件から「人質交換」というかなり「現実的」条件に譲歩してきたこと、あの時は「これはいけるぞ!!」と膝を叩いたものです。

先方さんは日本のヨルダン政府に対するODA(政府開発援助 無償資金協力及び技術協力)等の実績から見て、イニシアチブは日本政府が握っているものと解釈したはずです。資金は日本に頼る事多大な国ですから・・・。


ところがヨルダン政府は国内での世論、最大テーマであったあちら方に拘束されている「パイロットとの交換が優先」という論点に変更してしまい、先方にあきらかに「時間稼ぎ」と思わせるような遅滞を行いました。

まず、ヨルダン国内の事情というものがあってその点を軽々に推測すること「口をつぐめ」と思われる方もあるかと思いますが、いわゆる本当の表に出せない「お約束」はココにあったのではないでしょうか?

 

これは、オーソドックスな「正論で通す」ということですね。

すべてヨルダン政府に「おまかせ」で「ご自由に」ということだったのです。

相手方は「後藤さんと死刑囚の交換」が条件だったものをヨルダン庶民の「情」、「政情」を優先させて「パイロット」を登場させ、日本政府はその方策に任せたのでした。


先方の主張とは違う方向性を容認したということですので、先方の感覚を推せば裏会議で動いた人たちは今回の「最悪の結果」は予測できていたでしょう。

私でさえ、昨晩胸騒ぎ的不安があって彼の安否について触れたほどでしたから。それまではインターネットの書き込みについては沈黙すべきと「知らないふり」はしていましたが・・・

朝起きてみたら、この憂鬱が訪れていたということです。

 

勘ぐれば実際に石油産出国ではなく経済基盤も政情も脆弱なヨルダン政府にその人質交換について日本政府がイニシアチブを握って前面に立ち、交渉することはできた筈です。これはイイ事とは決して言えませんが・・・

つまるところカネで解決する方法でいささか見苦しいヨルダン政府への条件引き出しです。しかしその論点を復習すれば、主導権者である彼らの言う条件こそ「後藤氏とヨルダン収監死刑囚」であり、「パイロット」の話は無かったのですから。

 

まぁ以上の事は元より丸腰の人間を問答無用で脅して拉致、それを国家間(ISIS-ISILは国家とは承認されていませんが・・・)のトランプゲームの手札の如くの「賭場」に惹きずり出したという暴挙への怒りをまず感じなくてはいけませんが、我々個人レベルの「情」というものは国家の、実は一部恣意的感情の交錯する役人たちというのが本質でしょうが、優に掻き消されてしまうという「無情」を同時に確認できましたね。

 

私の思う勝手な思いを記すと・・・

1民間人がカード遊びの切り札にならない事を願う。

2国レベルのテーブルのカードとされた場合、見捨てられる。

3イスラム教とは隔絶した貧困層から湧き上がる同調者は今後も  

 増える。

4政府は交渉能力に関しては無能。

5政府要人の発言はプリントに記された同じ言葉の繰り返し

 

4に関してはすべてが後手後手となって「まずは仲介者探し」から始めていましたね。

もっとも「お友達のお友達」などそうは見つけられませんから仕方がないでしょう。以前そんなことを言っていた政治屋さんもいたようですが・・・


逸脱した推測と笑っていただいて結構ですが、政府としても後藤氏には「帰ってきてほしくない」という考えも無きにしもあらず。後藤さんは弱者と公平、何より不戦を願うジャーナリスト、平和主義者です。

その彼が無事に帰国すれば・・・

出版書籍はベストセラー、生き証人としての講演会は超満員の引く手数多。下手すれば「我が世の春」のソーリ御一行の地位をも脅かす存在として成長しかねませんからね。

 

とにかく私は朝から気分が芳しくありません。ああ口惜しや。

勝手な自分への救いでしかありませんが後藤さんの縁者の気持ちになって午前中の法務の後、富士山を眺めに海①②と山③④を歩きました。

日本から離れ、異国の地にその身を投じている、日本を故郷とするみなさん、2月1日午後の富士山をご覧ください。

朝の本堂は4℃。法事出席の皆さんには「コートを着たままで」と。

今年一番の寒さだったと思います。

 

富士山は旧滝境城の富士に次いで私の好きなポイントです。

①②は坂井漁港の長い埠頭の先からの富士。

③④はバイパスの地代の山から。下方に見えるのが須々木の出入り口。

 

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」(草枕)と言ったものでこの世の中を生きるにはなかなかコツがいるということでもあります。

今更の弁、詮無き事は承知。もはや是非もなし。

 

世の中はこの悲しみの中、何も無かったように普通に動いています。そして西方の遠い遠い地で起こったことはいつ何時、私たちに及ぶのかわかりません。

⑤はその日の夕刻、既に日没の図。

ポツンと金星らしき天体が輝いていました。その後その星も沈んで行きました。

 

すべての社会が「自己責任一辺倒」の「殺人的無関心」を決め込んで生活しているとは限りませんが、今回の事、我が身の事として悼むこと肝要と。

合掌します。無情と無常を思いつつ。