堂内に特徴  黄檗宗の寺  浜松細江の宝林寺

私が知っている身近な黄檗宗の寺と言えば・・・春日局と稲葉家の菩提寺である小田原入生田の長興山紹太寺を思い出します。

やはり開山は江戸幕府に近い稲葉家(老中稲葉正則  春日局の孫)とあって宇治萬福寺より僧鉄牛を招聘しています。

 

大名家の寺ということで、ベースとしては盤石でしたが、やはり正則の子、三代稲葉正往の時に越後高田藩に移封となっていますのでそれ以降は経営に苦難があったことでしょう。

あの長興山一帯に七堂伽藍を構えた大寺院であったそうですが、幕末時の大火によって消失、その寺の子院だった清雲院がその名称を引き継いで今に至っています。

勿論現在は墓地を備えて檀家さんも募っていますので一部限られた家のための寺ではありません。

 

さて、浜松の北区、井伊家の菩提寺、井伊谷の龍潭寺のスグ近くに近藤家(宇利・金指)の菩提寺の「初山宝林寺」があります(気賀近藤家)。

黄檗宗の寺らしく明朝というか大陸の関係をモロに感ずるような、あきらかに「和風」とは違う堂内に圧倒されてしまいます(場所はここ)。

寺の諸殿は今も綺麗に伝わっていて、この地の人たちの温和な性格がうかがわれます(廃仏毀釈の時代を通していますので)。

というか近藤家が庶民に慕われていたということでしょうか。

以前の夏の画像で恐縮です。

 

山門に懸けられた「初山」の扁額②は黄檗宗を伝えた隠元禅師の書。この寺は彼の訪日に併せて同行していた独湛禅師が金指近藤家二代貞用(さだもち)に招かれて建てたお寺(1664)。

黄檗宗本山に次いで建てられた寺で山号の通り「お初」。

 

本堂というか「仏殿」③はまさに中国系。

本来の本堂と言えば靴を脱いで上がって畳敷きに正座の姿を想像しますが、黄檗宗のお寺のそれは明らかに違います。

中国系の寺というのは靴を脱がないのですね。土間なんです。

こちらは土間の上にさらに、「敷き瓦」を張っていました⑤。

 

また威圧されるのは中央の釈迦三尊④の両脇にズラっと並ぶ二十四善神です⑥⑦。相当前の中国の映画にあった「キョンシー」を彷彿とさせます。⑧の報恩堂とは近藤家の位牌堂。

 

境内脇にある弥陀三尊と金鳴石⑩。語呂合わせで金鳴石を「カネの成る」とかけて「願いが叶うかも・・・」の如く掲示板に記されていましたが、私の一番に目を惹いたのは阿弥陀さんとその足元に置いてあった五輪塔パーツでした。

⑪⑫は独湛禅師御手植えと伝わる20mの「猿侯杉」。普通このように高くなる種類ではないとのこと。

⑬はお馴染み「不許葷酒・・」

⑭⑮小田原長興寺、鉄牛の寿塔。寿塔は長生きのお祝いに弟子が建てたものです。