小山城攻めの付城  儘(まま)山砦からの富士山

小山城を包囲するために家康が士気高揚に滞留した陣場―現在の「大幡」の地名から想像できます―、大井川近く小山城北東側の八幡神社について以前記しましたがこちらは東方向から睨みを効かす陣。


では西側からの包囲に威圧意思主張した砦といえば儘山砦ですね。儘山砦の場所はざっと言って榛原病院の北という感じ(場所はここ)。
位置的にいえば現吉田町の田園風景と小山城がその先端にあって現在は静岡空港がその根元に鎮座する舌状台地が一目瞭然となる丘です。


その田園地帯の中を走る農道は以前、吉田I.C.の利用頻度が高かった頃150号線のショートカットとしてよく使っていましたが最近は牧之原I.C.とバイパスの利用が多くて滅多な事では使っていません。特に田植え後の夜に窓を開けて走るその農道が好きでした。


きっと同じ資料を見て記されていると思いますが、「ゴルフ練習場」になっていると一様に・・・。そもそもあまりよくわかっていない砦なのですが、その練習場の造成によって遺構が破壊されていると断定するのは少々気が早いような気がしてなりません。

練習場のあたりは金谷方面に向かう街道と前述の大井川、小山城方向に向かう道が交差いる場所で、殆ど平地です。


戦略上背後に比高30m程度ですが台地が伸びていて尚、先端部で見晴は格別、陣を敷くとすればそのゴルフ場の上部の丘の上と考えるのが普通だと思います。

その裏山も既に茶畑として開墾されていますので、遺構らしきものは皆無ですが、おそらく茶畑の開墾以前は削平された土地であり、物見櫓、烽火台の一つもあったことが推測されます。


立地的に見て、小山城攻略のための砦の工作以前の武田あるいはそれ以前、勝間田時代の砦があったとしても不思議が無い場所でもあります。

付近には各時代の遺跡からの発掘品も多々出土しているとのことで、生活の主体がこの台地あるいは付近の高台にあったということを物語っています。いかに古来は平地が住みにくかったことか推測できますし、海岸線ももっと陸側に張り出していたことでしょう。


①前方台地の向こう側に小山砦。⑦祠は掲示板裏の茂みの中。⑧は東側からの図。台地先端部がわかります。⑨は飯室之神社と社殿側から見た儘山砦⑩。この神社は相良波津の飯津佐和乃神社との関連がある神社だそうで戦国期までは大きな社殿が残っていたとのこと。徳川×武田の戦火で焼失しています。


⑪台地先端から見た榛原病院。

⑫榛原病院から見た小山城。⑬150号線から見た田園風景と小山城。⑭台地下からの小山城

⑮A儘山砦B小山砦C空港D大井川