従姉妹の母方旧姓は「能島」 アブダビの件

拙寺の庫裏、私の自宅居間の気温について記しましたが、私が気が付いてみた中で初めて本日「年内4℃の壁」をあっさりと割り込みました。3℃を見てしまいました。

冷凍庫並の室内で息が真っ白。前日は静岡市内では白いモノが降ってきたらしいですね。

 

この部屋に一晩置いてけぼりのネコどもが、これまで絶対に見られないような風景を披露してくれました。

狭いネコ用ハウスに三匹が入り込んで「だま」になっている光景には驚きでした。

 

外に出れば水盤の水が凍っていました。まさか年が明けない12月の中旬にこんなに寒くなるなんて思いもしませんでしたね。

午前中からお客さんが来られるという事で仏間にストーブと火鉢に火を入れてスタンバイしましたが、皆さんとても寒そうでした。本堂の御本尊へご挨拶に皆さんを引き連れて・・・、まさに「凍りそう」という感じです。

寒さに慣れていない静岡人ですのできっと笑止千万と思われましょう。

 

当家の縁者、父親の弟のうち二人はブラジルに渡りましたが、その下の弟の子たち(姉妹)が浜松に住んでいます。

先日は姉の方が寒い日本を脱出してブラジルの「実家」に帰り、再び来日しました。まさかこれほど寒くなるとは思っていなかったでしょうね。

 

彼女らの母親の旧姓は「能島」姓。安芸門徒です。

彼女らに母親の実家のことを聞いてもまったく的を得(射)ませんので推測のみですが、別の叔父さんが言うには彼女らが世界を股にかけてあっちこっち行って自由奔放に生きるのは「村上海賊の血」が流れているからだとのこと。

 

今の実家はブラジルで国籍はブラジル人。

ポルトガル語の世界で育ち英語と日本語を後付けで学んだというところでしょうか。

最初日本に来たばかりの頃は変てこな日本語を使っていましたが日本滞在が長くなってようやく普通に会話が通じるようになりました。

私が「えっ?えっ?」と聞き返してしまうのはカタカナの語彙の時、発音が良すぎて聞き取れないからですね。

 

画像は先日彼女が足止めを喰らって酷い目にあったという、アブダビ空港。ヒマにまかせて施設内をうろついて撮影したそうです。

ブラジル―名古屋の国際線では結構そのスジでは有名?な「エティハド航空」の利用をしたそうですが、この飛行機はアブダビ空港で乗り継ぎがあるそうです。

要は直行便では無い(格安航空)という面倒くささがあるのですが、やはり到着遅れにより予定便に搭乗できず、一晩空港で明かしたという話。

 

通常、そういう場合ビザなしでも空港から一旦出て航空会社手配のホテルに泊まれるはずらしいのですが、カウンターで係員と口論になって険悪の雰囲気になり、結果空港の外へ出る許可証は降りず、空港内のカプセルホテルに突っ込まれたとカンカン。

 

何語で喧嘩したの?と聞けば英語とのこと。

どう考えても私なんぞ「英語で喧嘩」なんかできません。

日本語でさえ、たどたどしいのに・・・

だいたい気の小さな私はアラブというだけでその辺りに行こうなどと言う気は甚だ起こりませんね。

そう言って感心していると、息子は私の事を「ひげっつらで頭にタオルでも巻いてビーサンで歩けば十分同化しているだろう」と。

 

最後の画像が彼女が持参したお土産。何しろ繊細さには欠ける甘さのみを追求した御菓子。所変われば品変わる。さすがに実家では違うそうですが一般的に日本茶にも砂糖を入れているそうですからね。

ちなみに私はブラジルには一生行くことはないと思います。

日本の墓が一番いいですね。

ブラジルでは火葬が殆どありませんので、あっちで亡くなると「分骨」が可能となるまで20~30年くらいかかるのではないでしょうか?

途中でお棺を開けたら「発狂」しかねないともいいます。