そのうち なんとか なるだろぉ~  転悪成徳

人の死というものに携わる者としていかにも不謹慎と思われましょうが、笑い声で謳うこのフレーズ、大好きです。

もう年配の方しかわからないような歌の中の歌詞ですから、あまりにノー天気にこう言ったとしたらやはり顰蹙をかいそうな気がします。

 

真宗大谷派の坊さん、植木徹誠(てつじょう)の息子、ご存知「クレージー」の植木等が歌っていました。

「スーダラ節」の「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズも「私の事」として我が身を振り返る反省の言葉として私には捨てられない言葉でもありますが・・・

 

私など支離滅裂と気まぐれと自己矛盾と開き直りの連続で日々を送らせいいただいていますが、やはり法務が無い真っ白(スケジュール)な時間に至福を感じています。

今回も14日の米原での講演会への参加予約をしていましたが以前から触れていますように私の持論(低気圧理論-寒波と低気圧の襲来-心筋梗塞・脳梗塞の発生)に沿った件が起こってしまいました。

 

「葬送の家」をかかえて「余裕の放浪」をしようという気は起りませんのでキャンセルの電話を入れることにしました。

昨日も記しましたがこの時期は雪と凍結のリスクはありますが山を歩くには絶妙な時期なのです。

鎌刃城を再訪し東近江辺りをぶらつこうという算段でしたが、といってもこれも私の持論、「琵琶湖以東はクマに気を付けろ」(冬眠しきっていない)と、関ヶ原・琵琶湖付近の降雪というリスクもありますので、阿弥陀さまが「今回はよしなさい」と呼びかけていると感じ入りました。

 

まぁ私のそんな予定と先方御当家に突如と発生した一大事案を同じ土俵の上で論じることはできませんが、米原の件は数か月前から他の予定を入れずに用意していたことだけに少しばかり残念ではありました。

 

そんなちっぽけな予定外から、立ち直れなくなるような想定外、自分の意に反する、どうにもならない事々は長い人生を送る間にはまたぞろあって、心中いちいち取り合ってはいられません。

そのことは皆同じで、とにもかくにも「前」に向かって歩くことが大切なことです。

 

そういう意味で標記、「そのうち何とかなるだろうぉ~」は、もっともっと「これはヤバい、崖っ淵の状況」の如くの災難に遭ったとして軽薄すぎてこれは絶対に口に出せないと思ったとしても是非に心の中に留めておいて欲しい言葉です。

 

他にも色々逆境を乗り越える励ましの言葉に「明けぬ夜はない」「いつかはトンネルを抜ける」「跳ぶ前は屈む」等枚挙にいとまがありませんが、私にはこの言葉が一番合っています。

 

「みろよ燃えてるあかね雲」の歌詞もありました。

日没前の西方、燃えている如しです。

「だまって俺について来い」が曲のタイトルでした。

勿論その「俺」とは阿弥陀様のことですね。

 

「転悪成徳(てんなくじょうとく)」とは自分の目で見た損得勘定を仏の目というフィルターを通して見ると大いなる慚愧となり、それが本当の私の「徳」となって知らず知らずのうちに口から南無阿弥陀仏の御礼の言葉が出てしまう、ということでしょうかね。