「けいこ(蟪蛄)は春秋を知らず」 荘子

この期に及んで尻に火が付くとじたばた騒ぎたくなる季節がやってきました。

師走に入って、「今年はひょっとして暖冬?」とふっと思わせるような天気がありましたが、何でしょうかこの寒さは・・・急激な変化です。

 

遠州名物空っ風が吹きまくって、日坂の法讃寺さんの研修から帰ってきたらまたびっくり。

門の脇に掲示してあった『除夕の鐘』希望者リストがファイルごと風で吹き飛ばされていました。

 

そこいらじゅうを探し回りましたが、あの強風では無理ですね。諦めてプリントし直しました。

名簿はデジカメで撮影しておきましたので何とか再記入できましたが、「昼間の不在の間に記入があったら・・・」と思うと少しびくびくです。

次はヘマができないため、会館の中のテーブルに置くことにしました。

 

現状焼いもの他、「大根とネギの味噌汁を振る舞おう!!」と名乗り出た檀家さんがいらっしゃいます。

頼もしくまたうれしく思います。大晦日が楽しみになりそうです。

 

さて、昨日は恒例の僧俗研修会。

平成八年には当山総代が講習のあった寺院本堂で不調をきたし、そのまま亡くなってしまったといういわく付のイベントです。

本堂含め相当寒くてストレスが溜まりましたので「何とかもっと暖かい時に開催したら」と提案しておきました。

寺院側でも暖房器具の配慮等、考えなくて済みますので「いう事なし」なのですがねぇ。

 

お役が回って我が寺で開催ということになったらあのすきま風はさぞかし痺れることになりますし・・・。

「古くてよろしい」という評価はいただけてうれしいのですが、すきま風と底冷えは「外同然」です。

 

さて講習会の中で久し振りに聞いた言葉がありましたので標記に記しました。

「けいこ」といえば人の名前で耳に慣れていますがこの字は「蟪蛄」と書きまして「蝉」のこと。

となるとあとに続く「春秋を知らず」を見れば納得される方も多いでしょう。「何を当たり前のことを言っているのだ」とも怒られそうですが・・・。

「盛夏」に繁栄を迎える彼らはその時のみに地中より這い出て一生のフィニッシュを迎えます。子供でも知っていることです。

 

しかしこの言葉、先人が好んで使用した語です。

大元は荘子、「逍遥遊」という「のびのびとした自由」をテーマにした書が原点にあって、当流「七高僧」の天親さん曇鸞さんがそのあとに「その故にそれが夏であることも知らない」と記してさらに宗祖親鸞さんも、引用(教行信証)していますので、真宗系の法話の中で時々その語を引き合いに出して語る場面に遭遇します。

 

この「蝉が知らない」というのは本当は嘘っぱち(何年も土の中で四季を数える)で、要は人間に向いた言葉。夏場に地上に出てきて最大燃焼してあっという間に死んでいく(ように見える)彼らと愚かな自分を重ね、あるいは提起しているのですね。

 

①人生は儚い

②人生は短い 

 

まではまぁ簡単に分かってもらえるところ。

さらに

③人間は暗い

④自分の事は何も知らない

⑤他者の事も勿論知らない

⑥まわりの世界も知らないことばかり

⑦それでいて何でも知っていると思っている   

転じて

⑧人間は愚か・・でしょうか。

これらすべて「あたり前」といえば「あたり前」。

そして何より

⑨「人間は」と言いながら「私は、自分は」と

主語を置くことが肝心。

⑩ひょっとすると蝉以下の私がいるかも・・・

⑪結果自分の姿(あたりまえと思っている自分)が分かれば

 まぁそれでよし・・・

 

色々示唆的です。

 

画像左は境内盛夏のケヤキ。彼らの大人気の木で画の中をざっと数えたら30匹は張り付いていました。この寒さ、彼らを懐かしくまた愛おしく思います。