今年は鐘を撞くことにしました 除夕の鐘

報恩講前の世話人会の議題。

毎年「どうするの?」と声が続いてあがっていてやはり世話人会でも「どうしようか」決めかねていたあの大晦日の夜のイベントについて、「やらない」ということで決定していました。

 

理由は「寒くてたまらん」からなのですが、そもそもお寺が世話人の協力を得なければならないのは鐘楼周辺に立って、照明等管理や順番と誘導などの管理者として、参加者に及ぶ危険回避のために必要だったからです。

 

実は先代の頃は当初は鐘撞きを行っていました。段々と無管理状態となるにしたがって、撞く時間がデタラメになり近隣住民から「除夜の鐘なんてやめちまえ」とクレームの電話が入るようになりました。

終わっただろうと思えば午前2時頃になって「打ち逃げ」する輩が出たり、それに怒った近所の人の電話が鳴ったりでうんざり、それからずっと12/31はシュロの縄を固定して鐘楼を閉鎖するという年が続いていました。

 

まぁ住宅地にある寺は、それこそ現代に則した生き方として近隣住民との協調は大切です。お焚きあげの煙、夜間の梵鐘へのクレームの出何処はこれまた近隣より当方にも伝わっていて、もやもや感は残りますが、ややこしいおつきあいは御免と、御意の通り仰せの通りにしていました。

さすがに「寺の土地が隣地にはみ出している」というクレームには役所を引き出して反論しましたが・・・。

 

腹の中では寺で物を焼いたり、鐘を撞いたりすることは当家では400年以上も前からやってることですし、この土地も周囲の皆さんたちが家を建てるずっと前から寺としてあるのにと、わだかまりは多少はありますが、すべて時代の流れ、しょうがないことだと対応しています。

 

さて、今年の鐘撞きは世話人会の決定に反して「住職の勝手」ということで「やはりやる」こととしました。すでに近隣檀家さんには回覧告知済みで、ぼちぼちご近所への回覧板に添付する予定です。

 

世に云う「除夜の鐘」というイベントは「紅白」が終わっての「行く年来る年」(NHK)のイメージから殆ど深夜の開式。

私なんぞはその「紅白」とやら未だかつてまともに見たことがありませんし、年が変わることに何らの高揚感も、来る年への期待感も無いというひねくれの不心得者。

まして当流の宗旨も「鐘撞いて煩悩が消えれば世話いらない」的で、遠くの方で寝床の中で微かに聞こえる梵鐘の音はすこぶる情緒あって感動はするものの寒中皆さんを仕切ってガンガン鐘を撞くこと等、大晦日の過ごし方には抵抗がありました。

 

「寒い、暗い、危ない、子供来ない、そして眠い」ですね。

しかしまた、あの戦時下、軍部に祖父が泣く泣く供出させられ、戦後に御門徒さんに新調していただいたあの梵鐘、それではいったい「何時撞くの?」と自問すれば、やはりあの鐘にとって1年で1番胸を張って鐘楼に吊るされていることに意義を主張する日こそが、その日では無いかと思っていました。

そんなおり、某家のお取越しでその話が出た時、「昼間やっちゃえば・・・」というご意見を頂いたわけです。

 

拙寺としても寺楽市の数度の開催は気軽なお参りと子供たちの集まりを増やしたいとい大義がありますので、その目標にも沿い、明るいうちに鐘撞きを始めれば、上記「やらない理由」の殆どはクリアできます。ということで・・・

 

「14時30分から1分間隔で鐘を打ち始め16時30分できっぱり終了する」という算段です。

六時礼讃の日没無常偈の「日没」は午後4時という感じですね。その4時30分に終了します。その名も「除夕の鐘」(じょせきのかね)としました。1年最後の「日没」(西方浄土)に感謝をこめてです。

除夜も除夕も本来は同じでしょうが、拙寺の場合ただの「夕方」ということで。

 

門を入った会館の前に名簿を吊るして3日ほどたちましたが、既に7名の予約記名があります。

あと1か月ありますが、賑やかになればいいですね。もし好評だったら恒例にしたいものです。

 

当日暖をとるためにドラム缶を引きづり出して焼き芋を焼こうと思います。「クイックスイート」を採用してみましょうか。

②は御仏供煎を焼いている様子(寺楽市より)。これも十分暖かい。

③は大井川のカップ麺の工場と富士山。年越しそばにカップ麺は最近の定番になっている家庭も多い事でしょう。