金森御坊内部の変り種と重文 懸所宝塔

金森御坊は昨日お伝えしましたように通常の御参りはできません。善立寺さんに声をかけて先方様の御都合をうかがわなくてはなりませんね。タイミング次第(予約)ということになりましょうか。

ということでこれらのご縁をいただいたことに深く感謝した次第です。

 

御本尊の阿弥陀如来は元覆われていた金箔は微かに残るもののその経年の法要による蝋燭の煤で黒ずんで、いい味が出ていました。

拙寺でもそうですが、こちらの御本尊も撮影可でした。

本山の御影堂や阿弥陀堂は撮影×になっていますが、当流の末寺では大抵OKでややこしい事はあまり仰いませんね。

本堂でお客さんから「撮っていいですか?」と聞かれることがありますが私は「バシバシ撮っちゃってください!!」ですね。

 

御本尊両脇が面白いのです。通常は大抵本尊の左側、こちらから見て向かって右は「御開祖」というのが定番なのですが、こちらの御軸は存如さんと親鸞さんの連座影バージョンです。

この御軸が嘉吉二年(1442)の裏書、長享二年(1487)に蓮如さんから下付されたものでしょう。

存如さんは本願寺七代目、蓮如さんのお父さんです。

本願寺の現在のスタイル、御影堂と阿弥陀堂の両堂形式を採用した人ですね。

 

向って左側は蓮如さんの御軸が定番なのですが、こちらは木像になっています。お聞きするのを忘れましたがこちらが「道西坊善従御木造」ではないでしょうか。

 

本堂の脇に立つのが重要文化財の石塔ですが、こちらを「懸所宝塔」と呼んでいます。

石材は花崗岩で無銘ですが鎌倉時代後期のものといいます。

金森の石ノ戸という小字にあったそうですが、江戸時代にこちらに移されたと伝承があります。

 

四つの石を並べた基礎石の各2面づつに孔雀が描かれていて四面でそれぞれが向き合っているという図です。

胴部のズッシリした樽型の安定感に上部に反り立とうとする屋根とその厚み。九輪も欠損せずに完璧に残存しています。

700年の歴史の厚みが伝わってきますね。

「当地に大きな地震が無かった」とも解釈できますが・・・

 

川勝政太郎氏の記述

「もと東本願寺の金ケ森御堂とよばれた懸所(小別院)の西側にたつこの塔は、近江では勿論全国的に第一流の宝塔である。基礎は四石より成り各面を二区にして格狭間を彫り、その中に向かい合う孔雀を彫出する。笠は降棟を刻出し軒裏には一重の垂木型と隅木を作り出し、下には三段の斗栱型をおき塔身主部の周辺に明るく荘重な感じを出している。軒の厚さも適度で気持ちよく反り相輪の宝珠には火焔形を作るなどすべて至れりつくせりの手法で、それが成功している塔である。昭和四十一年解体積直しをした時、塔身の奉籠孔から六角水晶塔その他が見出された。