晴れて寒い日は富士山方向の視界が良好 いい機会を

昨日は天気が良すぎたのを甘く見て半袖シャツにトレーナーをひっかけて静岡方面へ。

風びゅーびゅーのうえ日没とともに気温が低下し、いよいよ「冬の到来」というものを実感しました。

庫裏の各所からガタガタ音がしてすきま風が身に凍みます。

当家の冬の風物詩。

ネコ共が夏場は見向きもしない布団近くに集合して、寝返りの際と暗がりに起きる際はより注意しなくてはなりません。

あ奴らも何度かひっ潰されている経験がありますので、大抵はそれを察知して脱兎の如く飛び起きています。

問題は、ネコに蹴躓いたり避けたりして、こっちが転倒しそうになることですね。

 

さて、静岡行きは次男の「足」。大井川を渡っている最中に車内から見た雪と青い空の南アルプスから富士山までのちょっとしたパノラマを見て、ちょっとした感動の言葉などを吐くと、早速「もう爺さんだな」と憎たらしい言葉が聞こえてきます。

 

「お前のような幸運のもとに生れたものはいない」というどうにもならないような説教をぶちかまして、その腹の立つ言葉を制圧しようとしますが、もはやこちらの方が観念しないといけないようなレベルとなっているようです。

しかし気分もよろしいところでその日はしゃべり続けていました。

 

例によってブルートゥース駆使で助手席に鎮座し、自分がダウンロードしたコレクションを車内に響かせるわけですが、親の不安とは逆に洋楽系一辺倒ですそこのところはうまいこと私の趣味に合わせてもらって、これはうれしい限りです。

 

かといって私はまったく日本のミュージシャンに興味が無いわけでもありません。

「奥の墓道」は殿堂入りしていそうな60~80年代のロック系が100%で、私が和製のその手の曲を聞けば「軟派でミーハー」と蹴りが飛んできたものです。

 

車内で続けざまの私の説教は息子の『今ある「幸運」は「おかげさま」であるのだが、みんなが使いたがる「幸運」とは「チャンス」とか「機会」といって真宗でも「遇う」(あう)という言葉に集約されている。このことを含めて「ご縁」と言うんだよ。お前は有り難いご縁を戴いている』と。

 

その前に「そろそろ髪を切りに行かなくてはならない・・・しかし前髪は切りたくないのでサイドだけ・・・」などと一般的な「坊さんらしくない」煩悩を語っていましたので、その「機会、チャンス」からギリシャ神話の「カイロス」について盛り上がりました。

その美少年「カイロス」が「チャンス神様」ですね。

容貌は前髪が長くて後ろ髪が無いのです。

よって「チャンス」というものは「往々にしてスグにつかまえなくてはあっという間に逃げてしまう」という意の由来になっているようです。

 

私は大学時代に山下達郎やサザンなどをしばし何となく聞いていましたが(周囲が皆そのような人種ばかりでしたので)、ずっと後になって(2007年)その山下達郎の奥さんの竹内まりあが歌った曲にサザンの原由子がちょいと参加して、「これは異色」と思った曲がありましたね。

 

その曲名は「チャンスの前髪」でした。

それを思い出して、「俺は洋楽しか聞かない」とへそを曲げる彼に車中YouTubeでそれを検索してもらいました。

一応というのは以前私が検索した時、カバーバージョンはあってもオリジナルはどこにも無かったからです。

 

「ある訳ない」ことを知っていましたので、彼が「11月11日にアップした人がいる」というのには少々驚きでした。

これも「カイロス」を語る絶好のチャンスと思い、車中家族で早速拝聴した次第です。

家に帰ってPCで視聴しなおしましたが歌詞まで入っている丁寧さ。ドラマの主題歌にもなっているそうで知る人ぞ知る曲ですが、「チャンスの神様」の意を知らなくては「前髪って何?」と意味不明に陥りかねない歌詞となります。

 

まあ、歌詞通り「力をあわせてチャンスを掴もう」というところ大賛成です。

削除されない限りYouTubeで

「チャンスの前髪 / 竹内まりや07」でヒットすると思います。たまには和製もいいですよ。