「褐色」とは茶色系の色のみではなかった 「勝色」

昨日に続き、色の話。

色の趣向というものは人それぞれ。そのこだわりのあるないもまたそれぞれ。

どちらにしろ他者から見られてどうのということはありませんので、何色のシャツやトレーナーを着てもどうってことはありませんから、「全然無頓着」であってもいいのです。しかし、私には結構その辺り、着るものの色目にはこだわりがあります。


何と言っても私の好みの色は青系ですね。かといってどこかの大臣さまが赤一色の衣装コレクションを吹聴していたことを思いおこしますが、それほどの特異なものではなく、ほどほどにその系統色に偏っています。

最近では以前履いていたGパンを引っ張り出して+紺系のポロシャツ、というのが私の普段着であり精一杯のお洒落着です。

基本的に半袖ですが、寒くなればその上にその手の系統のトレーナーかジャンバーを重ねます。まぁ一年中同じといえば同じですので、家族からは「貧相」と評価は低いものがあります。

 

特にお寺関係の各グッズとしては濃い紺を使用しています。

勿論私の趣味というか選択です。

お寺の名が入った境内の作業着のツナギ、イベント用のジャンバー、そして今度導入した婦人部のエプロン等々はすべて深い紺色です。


ちなみにエプロンは長きにわたって婦人部をまとめてくださった方(故人)の御寄進です。その方は私を「若様」と呼んでくれていた人でした(冗談ではなく・・・)が今時、そのように呼ばれる職種というか家というか、稀な形態ですね、寺というところは・・。温かい言葉で育まれたという感がありました。 ただしそのように寺の小僧を呼んでくれる方はもう、いらっしゃらないでしょうね。

 

紺色ではその他、かつてお寺で出した九字、十字名号の綿布、「進者(すすむは)往生極楽」の旗のリメイク等、すべて紺系でしたね。

 

さて、「褐色」といえば夏期の海好きの腕の色の如く、濃い茶系の色を思い浮かびますがもう一つ紺や藍の色としてもそう呼んでいます。今は茶色のみの用法が幅を利かせていますが・・・。

 

元「褐色」(かっしょく)とは紺色を言い「かちんいろ」とも呼んでいたとのこと。その呼び名を聞いた通りに記せば「勝の色」です。

武士の時代に入って鎌倉期あたりより、特に神仏への崇敬が一層不可欠となって縁起を担ぐことが多くなった命がけの勝敗をその道とする武士層から大いに人気を博した色でした。

いつしかその「褐色は勝色」と当て字がされてきたのでした。

 

そのような意識のもと前回の大河ドラマを見れば黒田長政の陣羽織はじめ諸々の黒田家の鎧・装束は紺系が多かったように思います。消極的参戦である朝鮮出兵で「無駄死にはしまい、絶対に戻る」という特殊な戦い(秀吉の無茶)への思いが演出されていたのでしょうか。

 

鎌倉から室町期まで勝色の鎧を纏った双方が入り乱れた戦いがあったことでしょう。この色は心理的に落ち着きをもたらしてて相手からは強そうにみえるとも言いますね。

慶應大好きだった「小田原みのや」のおばさんから紺に赤のラインの入ったセーターを貰って以来、その「紺」を摺り込まれたのか、ずっと私は紺色か青の色調に偏っています。

 

①は仙台市博物館の「当家軍器図巻」の中、「当家代々勝色の旗」。ただの紺色の旗、それがイイのです。