仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる

相良の町うちのお祭りは9月に終了していますが、この連休中は相良須々木地区、御前崎、池新田、菊川、掛川がその祭り期間となって当地から西の方向に向かう場合は案外厄介です。

そこいらじゅうで通行止めと迂回を喰らって関係の無いただの通りすがりの身としては大迷惑となります。

当たり前の様に天下の公道を閉鎖できるという唯一の機会とあって通行止め担当の御担当、心なしか横柄さも気持ち感じ取られるのは当方の感覚がねじ曲がっているせいでしょうか。

 

お酒が入って心も大きくなって「いい気持ち」はわかりますがほどほどにやってもらえれば・・・。思い出したころに死傷者が出る事故が発生していますから。

今年もどこかで事故がありましたが、一般人を死傷させた場合の責任(民事・刑事とも)についてどういう形になるのか少々興味があるところです。

 

穿った考えとご指摘を受けましょうが「タダ酒はうまいもの」とクールに見ている方もいますね。そのお酒の原資は区費等で住民から徴収したものや寄進で賄っているようです。

 

ここいら辺りのお祭りの区費は一戸単位で徴収されていますが今年の当家の金額は1万円でした。他に寺名義で波津区、相良区に各1万円を寄進しました。

 

これは現在の寺の住所地は波津ですが相良の飛び地であったという歴史があるためこれまでは相良区のみにお支払していましたがそれは「オカシイ」ということもあって今年から「波津区」への寄進が始まったというワケです。

まぁ、その辺りのところは苦笑いして御終いとして、私が「オカシイ」と思うのは、先日80歳独り暮らしの叔母から「お祭りで1万円払った(それでも12000円をまけてもらった・・・と)からおカネが無くなった・・・銀行へ行ってきて」と連絡がありました。

 

決められた「特別区費」とはいえ「年金頼りの一人暮らしの婆さん」から徴収するシステムはまるで「なけなしのカネをむしり取る」が如くの残酷を感じたものです。

そのおカネを元に「威勢のいい若い衆」とやらが飲んだくれて暴れ、日頃の鬱憤を晴らすのに使われていると思うと、いやはや何たることかと止められた車の運転席で考えるのです。

 

さて、福島正則の「天下三名槍」に数えられる「日本(ひのもと)号」~他の二つは本多忠勝―「蜻蛉切」、結城秀康―「御手杵(おてぎね)」~は黒田二十四騎の一人、母里太兵衛(友信)が福島から「呑み獲った」という話であまりにも有名です。

黒田節の歌詞にその状況が謡われています。

 

その曲は私の子供の頃に聞いた覚えがあるくらいで最近ではなかなかそれを耳にする機会はなくなったようです。

そもそも「酒が強い」ということに「価値」を見出さなくなりつつある昨今、祝いの席でその謡曲に合わせて舞うなどという状況も少なくなったのかと。

 

黒田節の原点は平安時代に発生した当時でいう「今風、現代風」歌謡曲、「今様」のことです。

平安時代末期に後白河法皇によって編まれた「梁塵秘抄」などはその歌謡集として各各現代の歌謡曲の元として伝わっています。

 

吉田兼好も徒然草で

『梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かンめれ』と絶賛好評価をしています。

 

その中で一番著名な曲が・・・標記・・・

 

「仏は常に いませども 現(うつつ)ならぬぞ あわれなる

  人の音せぬ 暁に ほのかに夢に 見え給ふ」  です。

 

 

7-5-7-5が基本ですね。

五木寛之の「親鸞」ではお馴染みの謡でした。

真宗的にいえば二十九歳の親鸞聖人が比叡山を下りて六角堂に籠った時の様子をイメージ(95日目の暁の夢・・・)しますが、仏の存在とはそのようにのみ具現できるということでしょうか。

しかし常なるものなのです。

 

画像は永観堂境内にある「今様」の碑。