10揃いの松永久秀 平蜘蛛釡の不思議 舘山寺博物館

語呂のいい「トラトラトラ」について以前記しました。

信貴山にて聖徳太子が物部守屋討伐の戦勝祈願をした際の「3つ重ね」です。

本日は10月10日、午前10時にイイ事がある!!などと勝手にこじつけて、10並びについて記します。

 

ある人たちは数字が3つ並ぶことを吉報と喜びますね。

フィーバーとも・・・仏教的に言えば「7×7」は二つ並びですが四十九日といってやはり「目出度き」ことの部類でした(名実ともに仏門に入ることが確定する日)。

まぁいずれにせよ真宗の教えとはまったく関係ないことですが・・・

 

さて、戦国の梟雄NO.1松永久秀(1510-1577)が信長の嫡男、総大将でやって来た織田信忠に城を囲まれて名茶器の「平蜘蛛釡」に火薬を詰め込んで(あるいは釡を打ち割ってから火薬に点火)自ら火を放って爆死したその日は、偶然にも10年前に彼が大仏を焼いた時と同じ10月10日でした。

 

「大天魔の所為と見たり 」(多聞院日記)と記される「東大寺大仏殿の戦い」によって大仏殿が焼き払われていますがこの戦いは永禄十年(1567)10月10日午後10時から始まっています。

大仏殿周辺に立て籠もる三人衆・筒井軍に対して松永軍が起死回生の夜襲攻撃を行ったものです。

殆どの堂宇が焼失したうえ大仏殿の延焼に対し「言語道断」の言葉で締めくくる多聞院日記の通り、東大寺側の怒りは頂点になったことでしょう(ただしイエズス会放火説他失火延焼説も混在)。

 

その10年後の10月10日に辞世の句というか、信長に「平蜘蛛と交換に許す」という大甘な譲歩への返事、「この平蜘蛛の釜と俺の首の二つは やわか信長に見せさるものかわ」を信長に送りつけてから火薬に点火したといいます。この10×7は因縁染みていて彼らしいというか面白く感じます。

少々こじ付けでした。

 

画像は舘山寺美術博物館(場所はここ)の平蜘蛛釡。

何故ここにあるのかはわかりません。入館料は300円。他にも面白いコレクションがあって一見の価値はあります。

さあ、「ラッキー10」は晴れの予報。

しかし海鳴りが響いています。庫裏の壁にシリコン詰め込まないとまた雨が・・・