日没を観想する場としての東山 永観堂多宝塔

嵐のあと、昨日は晴れると余裕でいれば夜間は降雨があって大量の落葉は水を含んで清掃作業はかなり手こずりました。

ケチな話ですが、処理場でのカウントも水分を含むと増しますので雨天直後の搬入はお得ではありませんね。

かといって枝葉はごっそり出て袋3つを満載にしましたので軽トラに積み直し、さらにざっとさらって550円也。通常は200円~300円くらいでしょうか。

 

18号より発達している19号も同じコースを辿る予想が出ていますので「程々」の仕事です。

この緩んだ地盤に追い打ちをかける降雨はまた各所での被害が予想されますね。再び「憂き」の訪れとなりましょう。

 

午後は新墓地の沈んだブロックの取り外し作業。墓地境界にブロックを使用することなどは論外ですね。

そもそも境界など不要ですし敷設するとしてもロープでたくさんです。

この無意味な敷設も一連の前住時代のインチキ業者による工事の名残です。

作業等に口を出すことは無い父親は業者にいいようにやられていました。

 

どこどこの誰とは記しませんが、彼らは(複数)思い出したように今だに「何かやらせてくれ」と寺に訪れます。

私は「自分でやるから結構」とお断りしますが・・・。

「お父さんはいい人だった」の口上はいつもながら。

 

教師生活が長く小寺ながら当山住職として「お山の大将」でいた父は(少なからず私も継承)「すべてのことを他者にしてもらう」ことを前提に生きていた人でした。

その意が全うできない時は酷く怒ったものですね。

しかし他人任せでカネ払いの良かったお山の大将は悪徳業者のいいカモになりましたね。瑕疵の発覚した工事は多様、すべて父が引退したあとに発見したモノです。

 

尻拭いは若い頃父親に幾度となくしていただき、御恩は無限ですが、「西方」に赴いた今、その置き土産の対応をこつこつさせていただいております。

昨年の今日、10/8は大澤寺の日帰りバス旅行の日でした。

母親が転倒して臀部を骨折し、父親の不調が始まった頃です。

9日母、10日父と連日の救急車同乗という滅多に無い経験をしたことが思い出されます。


「騙すより騙されろ」とは父親がよく私に言い訳していましたが、まぁ「その通り」ではありますね。

何か論点をはぐらかされているような気がしますが。

筋肉痛と関節痛の辛さにまかせて酷いボヤキをしてしまいました。

 

さて、以前のブログでも何度か日没を観想して西方の浄土を想う楽しみについて記していますが(「往生礼讃偈」日没無常偈、日中無常偈はこちら)、当流御開祖や親鸞さんの師匠の法然さん(源空)に多大な影響(一向専念無量寿仏)を与え、真宗における7人の「善知識」~七高僧~の一人に数えられている善導さんが唱えた発想でしょう(観無量寿経)。

 

京都東山の永観堂はその「観想」の京都に於ける主要な場だったと思います。阿弥陀堂がやはり聖徳太子の開山の四天王寺から移転されたものであることも大いに合点がいくところです。

四天王寺はやはり「日想観」でお馴染みの場所でしたから。

 

永観寺多宝塔は二重の塔。上部が円形、下部は方形となっています。勿論、他の「塔」と同様、九輪と水煙が屋根のトップに。こちらからの風景は紅葉時、あるいは夜景は絶妙の景色となりましょう。④の掲示板の図、左端が蹴上の「ウエスティン都ホテル」。