伊豆屋伝八文化振興財団  「不去来庵」との出会い

駿府銀座発祥の地「両替町通り」を伊勢丹方向から一方通行を歩いて「しぞーかおでん」の水野商店がある本通りに出る寸前の右側にその御堂はあります(場所はここ)。

 

実をいうと私はこの御堂の存在について知ったのはその際が初めてでした。鉄筋コンクリートの建物や近代的店構えが並ぶ通りにあって、あの雰囲気の違う古風な門構えに目が留まらないわけがありません。

特に私の場合はそのような状況にあって歴史的由緒について紹介する掲示板などがあれば、立ち止ってその文字に目を通す事は絶対的です。

 

その中に「阿弥陀如来」などという文字を発見すればその敷地の中は「いったいどうなっているのだ」という興味がますます湧いてきます。

恥を忍んで記します。

敷地への侵入を禁止するために渡された鎖を、跨いで強行するという意思が勝り門前まで進むとその僅かな隙間に何か庭らしきものが見えました。

後から吟味しようとスマホを差し出してその状況を撮影して「よくわかんねぇな」などと独り言を言いながら振り返ると二人の紳士がその私のみっともない一部始終を「やれやれ」の感にて傍観していました。

私としても「失礼しました」と言いながら立ち去ろうとすると、年配の方が「良かったら中をどうぞ」と門の施錠を解きながら声を掛けてくださいました。

 

「こりゃうれしや」と飛び上がる思いで、ただし恐縮しながらも庭へ通されました。

その方が「伊豆屋伝八文化振興財団」 の渡邊氏であるということが分かったのは自宅に戻って色々と検索したあとからです。

 

それにしてももっと驚かされたのは「伊豆屋伝八文化振興財団」という名です。どこかで耳にしたことがある名だと頭の隅にはありましたが、それはかつて牧之原市の教育委員会から聞かされたものでした。

これは丸尾月璋の襖絵の市の補助金に加えてさらなる補助金について申請ができ、その申請を行う相手がその財団であることがわかりました。あの時は記憶が定かでありませんでしたので「某財団」と記していましたね。

 

その財団は平成8年に「静岡県内の文化財の保存と活用に貢献し、文化の振興と発展に寄与することを目的に設立発足」されたのですがベースとなる思想が幕末・明治の施米事業だった「慈無量講」といいます。

こちらにも阿弥陀さんの名「無量寿」の二文字が見えて、「ああこのご縁は阿弥陀さんのひきあわせたもの」と勝手に喜んだ次第です。

 

「伊豆屋伝八文化振興財団」のH.Pには、理事長の渡邉朗氏の挨拶や財団の活動について記されています。

画像③④は門の隙間から見えた図。御堂はこちらからは見られません。