無くなった妙貞尼(新田義貞側室)の墓の案内板

歴史上の遺物というものは往々にして民有地にあるということが多いものです。

市町村の指定があって、整備基金等の補助が行き届いていれば管理がしやすいのですが、民間管理地の奥ではなかなか「公開」し続けるということは難しいことだと思います。

 

 私も私有地内の遺構を拝見しようとお邪魔する際は一応、一声かけようと心掛けますが、声を掛けられる側としても、拝観料等を徴収していない一般的な住居などでは、かなり面倒なことと思いますね。

急に来客が来て、裏庭の「何某の墓を拝みたい」などといわれても毎度毎度では「ちょっと無理」ですね。

 

 さて、小田原の渋滞の名所、国道1号線、土日の風祭の状況たるや毎度酷い混雑で閉口します。

私は小田原から静岡方面に帰還する場合、①東名大井松田まで戻る遠回り②無料化した箱根新道経由―伊豆縦貫道(無料)―沼津インターのどちらかの選択になりますが、大井松田までの道も比較的混みますので②を選択しています

 

 風祭はカマボコの鈴廣が大規模商業エリアを上下線ともに設けたため、渋滞に拍車がかかっているのですが、平日を除き「駅近く→箱根」あるいはその逆もそうですが地元の人間のみしか使わないマイナーな道を使用します。

「こんな場所から」と思うような道ですが、私には慣れ親しんだ道で何の違和感も無く利用しています。

 

 風祭から水之尾に出てそのまま競輪場方向あるいは荻窪・谷津から駅裏に行ける道に続きます(場所はここ)。

国道一号線の小田原厚木道路の高架下の踏切ポイントAを入ってスグ登りとなるみかん山越えとなります。

殆ど林道のイメージですが地元の人の往来は結構あります。

また、入生田の長興山紹太寺方向からの旧道から入るにはかなりの鋭角となりますので切り返しが必要です。

 

 以前は踏切から入ってその上り坂を小田原厚木道路を右下に見ながら上がりきった右カーブの左側面(丁度トンネル上になります)に①の看板がありましたが、何故か先日通過した際には看板が無くなっていました。

看板の更新中なのか、撤去されたのかは分かりませんが、後者の場合も考えられます。

 

 興味のある人や、ハイカーがこの道を行き来すればまずあの急ごしらえの畦風の道は傷むでしょう。

要は民有地の畑の中ということですね。

踏み荒らされて、挙句人目に付きにくいからといって「用足し」でもされれば地権者としては相当腹が立つでしょう。

 

 「用足し」といえば祭りの一番嫌悪すべきところですが、泥酔者がかならずといって「それ」をいたるところでしでかしますね。タダ酒でイイ気分は分かりますが時として横暴に感じます。昨朝も門前近くにその痕跡を発見しホースで洗い流すというひと手間。本来無い仕事でやれやれの感です。

 

 つい思ってしまいます・・。「この人、罰が当たるかも・・」 と。

当流の基本も「ゆるし」の世界でありますが、やはり「罰」というのは神仏があたえるものでは無く、自ら撒いた種のこと、因果の法則を言いますね。

ここでは「見境なく飲酒することによってわきまえも無く他者を困惑させる行為に及ぶ」という「性」のことで、これはいずれ自滅する要因となるだろうということを言っているのです。

 

 この墓は「新田義貞の側室」とありますが、新田軍が敗走した箱根竹下の合戦に彼女を同行させたとは考えられず、(新田義貞は女にうつつをぬかしがちだったという説もありますが)たまたまこの付近で亡くなったということでしょうか。

詳細についてはわかりません。このまま案内板が新調されなかったら彼女の墓は山中に埋もれていくのかも知れません。