久し振りのみかん山 酷過ぎるの一語に尽きる

「呆けてる!」と息子に苦笑される齢になりました。

そう言ってしまわれれば「お終い」ですが、人間、生きていれば「勘違い」「間違い」はあることです。

しかしそれを開き直って「主張」することなどはあり得ませんが、やはりそれらの思考はそもそも「人間の脳みそ」の仕事ですから絶対に避けては通れないことですね。「我れ思う、ゆえに我れあり」・・・「我れ感覚す、故に過つ」・・・

 

 先日の法事で久々「時間と場所」に関するミスをやらかしました。といっても、お隣の市内のどこかのお寺さんに関する、噂話ですが「法事の約束の時間が過ぎ、待ちくたびれて、住職の携帯にかければ・・・ゴルフ場だった」という想像するに身の毛もよだつようなチョンボではありませんでしたが・・・。

 

 「10時に自宅」を「10時に本堂」と勘違いしてしまいました。時間間際になって初めて「私の間違い」に気づき慌てて菊川の御自宅まで。

東名高速を使用して駆け付けましたが30分遅れの開式で恐縮し深く謝罪したという次第です。今回は近隣では無く菊川市内だったということも「焦燥感」に拍車がかかったわけですが・・・。

 

 驚きというか偶然の恐ろしさというか、その後に「こんなこともあるものか」と久々「口を開けて」唖然としたことは、法事後のお斎のご招待の場です。

後から到着すると店のおかみさんの狼狽えて謝る声がまず聞こえました。法事のお斎の予約は確かに承ったことを覚えているが「うっかり忘れて」何も用意していないということでした。

 

 その手のお話は以前にもどちらかの店で耳にしたことがありますが、当事者の気持ちを思い、また自分のことをも顧みれば怒る気になりません。主催者である施主も呆気に取られていたようで気の毒でしたが、1時間待ちで何とか店の方で場を繕ってくれました。

 

 激昂されて罵り誹りを受けたとしても致し方無いような状況ともいえますが、施主も参列者も動ずることなく寛容な時間を過ごしていたことも驚いたことの一つです。

一応、「朝から私がケチをつけちゃったようで・・・」と付け加えて謝ってしまいました。

 

 さて、最近の体調不調やら天候不良やらとちょっとした繁忙で忘れかけていた萩間の「みかん山」へ草刈り機、剪定用具一式を軽トラに積み込んで向かいました。

日曜も祭りのおかげでフリーでしたので。

 

 境内の方も後回しになって手つかず、ボサボサですが、こちらの方も酷いの一言。

ここまで雑草が繁茂するかと愕然としました。とにかく「助けてくれ」と叫ばんばかりに蔓や雑草どもに圧し殺されそうになっているみかんの木々をできうるだけですが「救出」しました。まだまだ通わなくてはなりませんね。

「救出」を待ちわびているみかんの木はまだたくさんあります。既に命の絶えた者どもの遺骸が哀れです。手を掛けきれず見殺しにしてしまい申し訳なく思いました。

 

 みかんはこの時期は摘果が終わっていなくてはなりませんが、同時に少しづつその作業を行いました。

「摘む」ということが何か生きる権利を奪っているような気がしてとても可哀そうな気分になります。私はこの作業には向きませんね。元から木を伐採するクセに変なものです。

 

 ④は摘み取られた「子供」たち。⑤はみかん畑近くの茶畑の図。快晴でした。放置茶畑ばかり目につきます。⑥遠くに駿河湾、御前崎方向が見えます。