駿府呉服町は旧東海道 西に並行する両替町は銀座発祥

昨日記した伊勢丹前の通りは「呉服町通り」。駿府のメインストリート(旧東海道)ですね(場所はここ)。

呉服町通りに立つ看板によると・・・

元は浅間神社に近い北から南に向かって順に一丁目から六丁目までの六つの町割りがされていたそうで、旧1~3丁目→新一丁目に同4~6が今の二丁目とのこと。


 戦国末期に伴野宗善(友野宗全)という「絹座」、「木綿座」の長が住んだことがその発祥で町頭として駿府町割奉行の補佐をしたそうです。

戦前までは呉服店が十数軒あったそうですが、人々が「洋服」というものへ趣向の移る以前は相当に賑わった商いでした。相良でも呉服屋は数件ありましたが戦後は次々に姿を消してしまいましたね。

 

 「呉服問屋、呉服商」の他、江戸期に巨利を得て幅を利かせた業種に「両替商」があります。双方とも時代劇中には必ずといっていいほど登場する商家です。その「両替商」が集められた場所が駿府では呉服通りに並行して走る裏通り?となります。

勿論その名は「両替町」、「両替町通り」です。

やはり江戸時代は六丁目まであったそうですが、静岡大火以降の町割りで2つの町になったのも「呉服町」と同様です。

 

 家康によって「銀座」と呼ばれる「銀貨鋳造所」が置かれてそれに伴う「両替商」が軒を連ねたといいます。家康が隠居したあたりに「銀貨鋳造所」は江戸に移転、それが現在の「銀座」です。

 

 ①駿府銀座発祥の地の石柱と今の「両替町通り」。

「慶長十七年(1612)駿府の銀座は江戸に移された」とあります。③④表裏は我が家の引き出しの奥から・・・左側一朱銀二つに「銀座」の刻印が。