飛行機の操縦と高速走行はお控えください 尿路結石

土曜日朝から下腹部に違和感があるも「何とかなろう」と誤魔化しながら法事へ。

今回のその痛みはこれまで味わったことの無い「何か」に違いないだろうと内心思っていました。

 

 法事が終わってお斉にお呼ばれし、その割にはよくお喋りしたとは思いますが、その中で誤解を招きそうでかつ、食事をしながらの題材としては少々難があって「しなきゃよかった」と後悔しているその内容は・・・「死ぬことによって生きる」でした。

 

 これは自分と息子の関係をこれから考える上で、そのような形も有り得るということと会社やスポーツなど一般社会の組織の中で「先達の引退というイベントが後進を育てる」という意味でお話しました。

その際最長老の方から「それは違う」と横ヤリを入れられてしまいましたが、「死」とはあくまでも極論ですとお断りを入れて持論を展開しました。

 

 先輩を指導者として大事に思うことは大切だが、先輩がいつまでも先輩ズラしてその場に居座ったら後から続く者の力を発揮するチャンスを提供できず、結局は育てられない、ということです。それを引退では無く「死」という語彙を使用した事に違和感を抱く方がいらっしゃると思いますが、これは私のその腹痛がもしかして「死」につながるかも知れないという「弱気」が使わせたこと、今一つ息子の現在ある高校3年という状況に対する甘さへの不満から来たものでもあります。

 

 そして、無残な「らしさ」とやらに固執しつづけ醜態を晒した口だけサッカーのW杯日本代表の面々、「4年後また出場」の甘言をのうのうとぬかす選手にイラっときて「強くなるためにはあなたが消える事だろう」と日ごろ思っていることもありますね。まあ色々な世界にその手の事は溢れ返っています。

 

 先輩、先達に敬意を持つことは当たり前、儒教的精神に培われた日本人にとってやはり大切にされてきたところです。しかし、「後進に譲る」という感覚が欠落し、いつまでも権力や地位に居座り続けている先輩たちの振る舞いには辟易ですね。

 

 ということで私はいつまでも寝ぼけている息子が覚醒するその時期は私そのものが消えること(死ぬこと)も一つの縁なのだと最近思うようになっていたのでした。

 

 腹痛はいよいよ増して、土曜の晩は夕食も取れず悶々としつつブログのいたずらに時間を少々頂戴したのち、日曜の法事の用意をして就寝。

ところが痛みは増すばかり、眠りにも就けずいわゆる七転八倒というか未だかつてない悶絶の時間を過ごしました。

 

 これでは「法事に出られるレベルには無い」と息子を叩き起こし、こういう理由で「今から病院に向かうがピンチヒッターで法事を遂行してくれ」と説いてみると・・・「やる」と言ってくれました。

 

 それでも相当気が楽になって榛原病院の救急外来に駆け込みました。何より法事のドタキャンだけは避けたいですから。

血液検査、X線、CTの結果待ちの間、①盲腸②内臓疾患③結石のおそれを伝えられました。

①は何とかなりそうですが②はかなりヤバそうな感じ。とにかく入院は間違いないところですので「希望」としては③の結石でした。

 夜間担当の医師が泌尿器科ではなかったため判定は確定ではありませんでしたが血液の炎症反応と視覚的に見て③の診断。

続けて行った尿検査で殆ど③は間違いないということで痛み止めの投与で無事解放。

希望が叶って法事も完了、何より息子の気持ちを聞くことができたことは激痛―「痛みの王様(king of pain)」(→ウイキ)・寝不足のうえ夜間診療で出費もかさんだにもかかわらず、「かなりの幸せ者」と感じたのでした。

 

 「石」は時として勝手に詰りが落ちるともいいますし、今後数回は同様の症状に襲われるとも。今のところ収まっていますが念のため月曜日は榛原病院へ。看護師さんが言ってましたがこれはお産の痛みに似ているとのこと。

 

 日ごろ墓石仏石を見て回っていますが、自分の体の中にそんなものが出来るとは思いも知りませんでした。

水分の摂取が不足していることは自覚しています。動脈硬化へのリスク警鐘もいわれています。食生活、まだまだ改善余地がありますね。

 

 標記は医師の診断時の第一声。3時間もこの部屋に寝ていると色々な事案と遭遇します。とにかくあまり長居する場所ではありませんね。我ながらストレッチャーに乗せられて廊下を移動している姿は終焉をも意識させるものです。少々大袈裟ですが、「死を身近に感じてこそ本当の生を味わえる」というのは少なからず当たっていると思います。