「まさか」の坂道 いたるところに転がって

8月の不順な天候は各地に思わぬ爪痕を残しています。本当に稀に見る酷い夏ですね。

連日放映される広島の画像には驚愕させられます。

 犠牲になった方、被災者の心境たるやいかばかりか、被災地より遠方に居てお茶の間の画像のみの他、何ら知り得ない私の、「お見舞い申し上げます」風の軽々しい言葉を吐くことにどうしても抵抗があって、かと言いながら何もできずに傍観しているだけの私がここに居るわけですね。申し訳なく思います。

 特に「倶会一処」の銘のある墓石が土砂に埋もれた図を見て、跡形も無くなったのであろうそこにあったお寺のことを思うとやはり気分がいいものではありません。


 軽口のうえに軽口を叩かせてもらえば、この災害はある意味人災という雰囲気も漂います。土砂崩落の前例(歴史)があるにもかかわらず、人口増加に伴って居住地区を山際に広げたことによる結果であるとすれば、安直な開発への認可が問われることとなりますね。


 勿論、規制するのは行政です。たとえば宅地を造成するには各種規制に縛られ、開発に関しては見張られることになっています。

これは開発・建築業者、販売者の暴走を止めて善良な住宅購入者を隠れたリスクから守るためのものですね。

一例をあげれば「急傾斜地の崩壊による 災害の防止に関する法律」(国土交通省)というものが「国民の生命と財産を守るため」に必要とされて、その主張ができるベースとなります。


 そして許認可権者も行政。その「物差し」、解除基準というものが曖昧であることが往往としてあるのが今までの構図です。

 市街化調整区域が突如として住居地に変更されるということも良く聞くことです。

二束三文の山が宝の山に書類のみで変るというマジックですね。原野を予め安値で購入し、どういう手筈か、住居地に地目が変わったら高値で売り抜けるなどということもバブル期に横行していたようです。


 もしや人口増加に対応するためという大義によって上記の如くの開発が行われ続けていたとすればそれは「いわば人災」と思わざるを得ないことだと思います。


 さて、今の私の住む場所は土砂崩れ、鉄砲水の類の災害よりも津波の恐怖ですね。

画像は袋井市。国道150号線脇に出来た「湊命山」の図です。命山とは「先人の知恵を現代に復活させてつくった津波避難場所」のことですが、これは相当スケール大きい構造物ですね。


 高さ的には2階屋の屋根と同じくらい。こんなものでOKなのですね。(詳細はこちら地図もあり)

父親の口癖は「その時はその時だ」でしたが、まさかの時の準備はしておきたいものですね。

寝床に置いていた持ち出しリュックに梅王丸(ネコ)が排尿したことも「まさか!」の驚きでした。