比木の自然と歴史に触れよう 正福寺

相良から浜岡池新田方向に向かうには150号線やバイパスを使用するまでもなく、いやすべて150号線の使用はむしろ遠回りになりますので、直線で山越えの2経路を選択します。

 

鬼女新田経由かこの比木道です。

相良の海側に住まう者としては比木の道が最短でしょう。

「鬼女」の名称はさもおどろおどろしく古い言い伝えがある様に思いますが、江戸時代に付けられたと聞きます。「納税を渋って役人に反発する強いおばさん」がいて尻尾を巻いて相良に帰った役人がそう(鬼女がいる)伝えたとのが始まりと。

 

さて、比木の庄については京都賀茂神社の荘園地だったそうで、付近には賀茂神社が2つほどあるようです。

特に県道上から城山や殿山に連なる台地の麓に鳥居が見えます。

かつてその社叢(しゃそう―鎮守の森)を幾度か散策しましたが、野鳥が飛び交い空気がうまい(県指定)森の入口という感覚です。

特にヒメハルゼミの鳴く森として地元では知られています。

その台地の裏側に県道からつづく谷を越えてさらなる台地にあたりますが、その麓に正福寺という古刹があります(場所はここ)。

 

かつては真言の寺で天正の頃、曹洞宗に改宗し、周辺にも小寺があったそうです。

県道に寺標が立っていますが、そこから谷の懐にある寺まで少々距離があります。

 

比木の殿山・城山周辺からは宝篋印塔等、古い墓石が発掘されていますが、一部こちら正福寺の門前にある祠脇に並べられています⑥~⑩。

⑤画像は殿山の北側にある林道脇に立っている宝篋印塔らしき墓石残欠です。

資料によれば正福寺の石塔には「至徳三年七月十四日」の銘が見られるそうです。至徳三年は1386年、足利義満の時代です。

 

他にその年代の宝篋印塔が「浜岡郷土資料館に」とありましたので御前崎市役所を訪ねることとしました。

合併により、浜岡町は消滅していますので管理は御前崎市になっているはずですから。

そもそもどこの市町村にもある「郷土資料館」風施設、果たして聞いたことが無いと思いつつ役場受付で尋ねるも、皆さんご存知でないようでした。

 

数分待たされて聞いた言葉は「見せられるものも、そういった施設も無い」とのおこたえ。もはやこれ以上深く尋ねても仕方なしと思って退散した次第です。

 

比木で出土した室町期の宝篋印塔となれば興味は十分、皆さんに見てもらう価値はあると思います。

御前崎市には文化財が少ないとは聞きますが、地元を育んできた人々の生きた証―遺構・遺物―ですから大切に調査保管し市民に伝えるべきだと思います。

 

あれだけのハコ―図書館―を抱えているのですからその一画のスペースに文化財の展示場があったとしても不思議は無いですね。

私も勉強不足でこの辺りの歴史についてはこれからの課題となります。