盂蘭盆会 前半戦が終了して 世界の墓場を考える

19日の土曜午後からの法要は豪雨と大渋滞の影響で参列者一同難渋した様子。一時は境内、海水浴場の如くの水浸しになってみなさんズブ濡れ、バスタオルを用意したほどでした。

 

 唯一ありがたかったのは墓地への参拝とお寺を出る際にはピタっと雨が上がっことですね。相良に於ける雷雲通過と豪雨は久々、その時の法要は遠方の方ばかりでとても気の毒なことでした。

 

 その日以降は晴れて連休最終日には遂に「梅雨明け」。

まごまごしているとスグに8月、そして秋、報恩講、大晦日ですね。アセります。心して「生き抜き」時々「息抜き」。

 

 そういうわけで当山の7月のお盆はひとまず終了。次は8月の法要です。

その期間中、世界から各種ニュースが飛びこんできましたがつくづく「この平和な日本」について「ああよかった」と感慨深く思った次第です。

 

 エゴイズムむき出しで「YOUが飛行機撃ち落とした」と罵り合い、イスラムとキリストが猥雑に入り組む地では殺し合いの連鎖。いやはや人間の心の暗さを改めて思い知ったところです。果たして「あんなこと」をいつまでやっているつもりなのでしょうか?

 

 今のところ日本に戦争が無いのはあの戦争でたくさんの犠牲を出してから反省があって平和憲法が維持されてきたおかげです。

ところが、最近の風潮はガラッと変わってきました。

閣議決定というスーパー意味不明詐術的暴挙が行われて戦争に参加できるよう変更が為されてしまったようですし武器輸出に関しても「解禁」で、私たちの平和憲法がなし崩しにされてしまいました。

 

 よく耳にします。「平和に胡坐をかいている」日本人・・・です。それってどこが悪いのでしょう。

「平和」ほど素晴らしいことは無いですね。誰もがそれを望んでいるのです。「戦争に関与しない」という宣言をすることと国際協力という立場とは次元が違う筈です。

 

 「人が人を殺す」時代は終わったのです(本来は)。

にも拘わらず一部世界の人たちはその暴力の連鎖から抜け切れず、あいも変わらず暴力指向。

その当事者の口からはそれぞれが「平和を求めて」です。

どうやらその素晴らしい言葉も戦争の口実にされてきているようでもありますね。それも昔から変わっていないようです。

 

 勿論「殺せば殺される」という戦争の法則がありますが、たくさんの戦争を重ねて人類は進化してきたはずなのです。

「あいつが悪いから制裁する」「宗教理念の違いで対立する」では何らの進化発展もありません。

あいも変わらず戦争指向の指導者に衆愚は扇動されて踊らされているように感じます。

 

 昔から集団の指導者は手前たちの現在の地位確保のために「祭り」を推奨し、共通の「敵」を作ることに頭を悩ませました。

それは政(まつりごと)の不備へ噴出しうる民の意を「他へ逸らす」ことで安定政権のための必須要件でした。

要はアメをくれて陶酔させ、危機感を煽って集合させる。

組織による詐欺的テクニックに他なりません。

 

 さて、日本の輸出した武器で殺された人が出ず、戦争に出た日本人によって殺された人が出なかったことも大いに日本人が平和を享受できた理由です。

その方向が転換され「人を殺す」ことに国のお墨付きを与えるということは=「私が殺される」というを実は黙認していることなのです。

 

 子供がもし日本の武器で、日本人との戦闘で巻き添えになったとしたらその親の憎悪は「日本」に向けられることは必至でしょう。

殺す側の相手は応戦します。そのリスクも当然ですが殺された相手の縁者のさらなる反撃の事をまず考えればどのようなリスクがあるか分かります。

弱者、貧者の効果的戦闘と仕返しはテロですね。

 

 戦争に行けば勿論日本人が殺し殺されて憎悪の連鎖の迷宮に入ります。

殺された相手の憎悪が煮詰まれば日本国内でテロが起こるでしょう。

 

 昨今の経済活動の停滞の理由に人員不足があります。海外からのヘルプが声高に叫ばれている中、旅券等の簡略化は進むはずです。

就業ビザで入国しテロが発生することは十分に考えられます。

そうなると日本には最大の弱点、多くの「原発」を抱えていますので、真っ先にターゲットにされるでしょうね。

ダメージを与えるにあまりにも効率的な「的」ですから。

 

 以前の日本はアラブ地域から見て「世界で唯一原爆を投下された国」という同情的見解で溢れていましたが、最近は「親米」路線のイメージが固定し、むしろ米国と同等、十分彼らの仮想敵国にランクアップしていますね。

国でもその方向での動きを取るということを宣言していますので、もはやテロが起こったとしても驚きに価しないレベルにはなっています。

 

 要は効果的なアピールは「いつどこで」のレベルまで来ているのかと。9.11の日本版も誘発される方向を辿っているような不安な気持ちでいっぱいです。

タイトルだけですがハリソン・フォードの「今そこにある危機」を思い出しますね。

 

 ずっとずっと平和の上に胡坐をかいていたい私の最近の感ずるところでした。

平和ほど世界に胸が張れるものは無いのです。

 

 あと少し言わせていただければ「真の政治家の力量」とは対話力です。話し合いによって戦争を回避することがあの人たちの使命なのです。

喧嘩して仲たがいして「口きかない」とする方がカンタンで誰でもできることですね。

 

 経済の活性のために武器輸出の解禁などはいかにも邪道です。

あいかわらず「自分だけ儲かればよい」とする姿も実をいうと前述のガザやウクライナに関わる人間の暗さと何ら変わるところがないのでした。

ガツガツ金儲けして他者を蹴落とす姿勢を「経済活動」という言葉に代えて吹聴するのも、前述「平和のための戦争」と同様、大いなる詭弁でしょう。

 

 とにかく現状の紛争だけでも米ソは責任を持って収束させてください。

 

 画像は一番遠かった九州からの参拝のお土産。

この季節ならでは各地の便りが味わえました。ありがとうございました。

②は金曜の相良海水浴場の夕方。週末でもかなり人は少なくなって寂しい限りです。