徳川慶喜の隠居所 駿府 浮月桜

静岡駅北口ロータリーには家康の銅像が建っています。

片手落ちともいえるそれは、静岡市民の温度差なのか、無感心さからかちょっぴり残念なところです。一応付け加えますが「片手落ち」は「片方」+「手落ち」(手抜かり)で不公平の意です。

 

 勿論家康の駿府との関わりは歴史上切っても切れない厚みがありますが、家康以前の駿府は元々今川家が拓いた地です。

駿府より上洛途上に桶狭間に憤死した義元、渋く今川家の地位を盤石とした氏親あたりの銅像がここに建っていても不思議は無いのですがね・・・。

 

 そういう他には無い地域の歴史的特殊性をもっとアピールしてもいいのですが・・・。一時期は武田の手中にもありましたし、伊勢宗瑞(北条早雲)も滞在しています。

 

 「ハコモノ建てたい!」と、駿府城址に何かを再建しようというのもいいのですが、群雄たちが交錯した地、駿府を徳川時代のみにこだわらずに紹介できればいいのですがね。

余計なお世話でしょうか。

 

 さて、この銅像の背後、国道一号線を挟んだビルが「葵タワー」。静岡市美術館―現在法隆寺展開催中―が入ります。

そのビルの向かって左側の道を入ってその左側のビルの間に木々の緑が目に入りますがそちらが「浮月桜」(場所はここ)。

地図で確認できますが中には池があってその「池に映える月」からそのように銘々されたといいます。

 

 今は懐石料理を振る舞う料亭ですが、元々は幕府、駿府代官所でした。

江戸幕府最後の将軍15代徳川慶喜が大政奉還後、この屋敷に入って、明治二年(1869)から約20年間隠居した場所です。

駿府に来た慶喜は政治世界からは離れて趣味世界、特に写真に没頭したことは有名で、かつてお隣の美術館でその「作品展」が催されていました。

 

 いつかこの屋敷に現金を握りしめ、懐石料理を食して内部の画像をアップしたいと思います。

というかWカップ鰻重バクチの勝ち分がありますので、奥の墓道に奢らせるという手もあります。

ちなみに彼は決勝をアルゼンチン、3位決定戦はブラジルでしたので、オール×(ペケ)。

浮月桜、ランチもあってボッタクリ(失礼!)ではなさそうですし

お盆休みで帰省したところを捕まえて早々にレポートできると思います。

サッカー終わって寝不足解消、健康生活に戻り、食欲もバッチリです。