地図上 坂本城でも二の丸と三の丸の間付近?

当初何も下調べ無しにこの地を訪れ、その城についてその所在を聞いたのはおまわりさんでした。

先日も記しました、「城はどこ?」の質問です。

聞いてもダメとはわかっていても、さすがにこの城は「メジャーだろ?」(「信長の安土に次ぐ」―ルイス・フロイス)と勝手に思い込んで、また地元に根差した職業である警察官であるならば適格な案内をしていただけるだろうと思った次第です。

 

 何かの取り締まり中でバイパス高架の近く交差点脇で待機中のパトカーを見付けて、近くの通りに車両を停車しパトカーの運転席前まで行くと、あの手の方たちは職業柄と思いますが構えてしまうのか、私への質問「坂本城はどこですか?」には「知らない」の一点張り。

むしろ私の方に興味があるが如くの対応でした。

そうです「Youは何しに坂本へ?」です。

そんなものなのです。

歴史に興味がある人は何となくでも知っていて、興味なければまったく違う世界。警察官に道を聞く場合は交番か警察署だけですね。

 

 横浜在住の頃、夕刻の我家直近の住宅街で巡回警察官とすれ違った際、「こんばんわ」とこちらから声を掛けただけで怪しまれ、「あなたの家はどこ?住所は?お名前は?」と。挙句、私の回答などまったく信じず、「では家まで行かせてください」と丁寧な言葉ではあったものの「不審者扱い」見え見え、自宅玄関に入るまで同行、お送りいただいたことを思い出しました。

 

 さて、坂本城をグーグル地図を調べるとこの辺り

この地図を見れば誰でも「ちゃんと地図を見れば出ているだろ」と叱られそう。ところがこの地図の「坂本城址」の明記は不案内の者には酷く悩ましいのです。

これまでグーグルにはお世話になっていますが、これほどの不親切というか片手落ちのものはありませんでした。

 

 坂本城といえば明智光秀。信長の命により焼き討ち後の比叡山への抑え、湖を隔てた安土城への橋頭保、湖西の京都から木之本等北国街道へ抜ける街道の抑えとして築かれた城で当初は立派な天守閣をも備えていたそうです。

近江は坂本城同様湖西、高島の大溝城でも記しましたが水城でした。

 

 警官との問答に埒があかず地図を元にそちらに辿りつきましたがどうも不思議。湖面が見えないのです。

地図をさらに見直してもしっかりそちらに記されていますし・・・。

 

 水際の場合、往往にして干拓されたり隆起したりで内陸部に遺構があることはそう不思議な事ではありません。

しかしこちらの四つ角に立つ石標にてっきり騙されてしまいました。周囲は住宅地です。

後で気づいたのですが、この地は城の縄張りの中でも殆ど中間部だったのでした。

画像は比叡山の東南の方角にあるからそう名付けられたという「東南寺」。勿論天台宗で、坂本城二の丸推定地です。

境内には山﨑の戦い以降秀吉軍に包囲され死した坂本城城兵と明智一統の首塚が建っています。