さあ佳境 「ノックアウト ステージ」

平年より3日遅く沖縄で梅雨があけました。

昨年よりかなり遅れましたね。

今年も天然青一色の東シナ海の図を想像しただけで終わりになるのでしょうが、ただその情報を得ただけで気分は軽やかになります。

 

 当地では集中豪雨というものに今のところは襲われていませんが、先日は静岡からの帰り、私は値上げに痺れて懲りた東名高速を使わずに国道一号バイパスそして金谷経由での帰り道を選択しました。

 

 藤枝・島田・金谷周辺は以前にも記しましたが、最近何故か雷雲の通り道。

その日の午前中は晴れ間も顔をだしていたくらいでしたが、14時過ぎから猛烈な豪雨となって命がけ的不安に陥る洪水の如くの激変に遭遇しました。雨で先が見えないなどということは滅多に無いことです。

 

 本堂障子の露出していた箇所が心配になりましたが、相良に近づくにしたがって雨は止み、晴れ間が。

路面の状況から見て雨など1滴も降っていなかった様子。

まったく不可思議の一言。

牧之原台地の北と南で何故にそれほど天気が違うのか、不可解です。本堂は無事で何よりでしたが。

 

 さて、Wカップは各組予選リーグがすべて終了して、ベスト16が揃い、本日はインターバル。

これからいよいよクライマックスへ進みます。

アジア勢の不甲斐なさについては御存知の通り、これだけ実績が作れないとなれば以前からも出ていた「強いところだけでやろう」というような意見が噴出してきそうですね。

 

 Wカップ出場国の予選リーグ組み合わせの暗黙の「幸運・不運」に同組に「アジア枠代表チーム」が入っているかどうかというものがあります。

 

 1組4チーム中上位2チームが決勝トーナメント(ベスト16)に勝ちあがれるのですが、「アジア勢」が1チーム同組にいれば、残り3チームそれぞれがそのアジア枠の国との対戦につき白星(1勝、勝ち点3)を勝手に計算します。

 

 極端な事をいえばその国を除いた残り3国でのリーグ戦を想定して戦うのです。逆に言えばアジア代表国に引き分けたり負けるというようなことがあれば2位以上は難しくなるという考え方になります。

 

 今節Wカップも予選リーグでアジア代表国に負けた国は1つもありませんでした。

そういう意味では彼らの「幸運」はその通りであり、やはり「クジ運は良かった」わけで、思惑通り彼らがそうなろうと予想した通りに落ち着いたということですね。

 

 この国では選挙人と当選人の比率による選挙区格差についてその不公平を指摘されています。

Wカップ―FIFAでも以前から、その手の意見に似た動きがありますね。

強豪揃いの欧州や南アメリカの出場枠をもっと増やして、興行的にも面白みに欠けるアジアの枠を減らそうというものです。

 

 現在アジアの出場枠は南アメリカとのプレーオフを含めて4.5ですが、次のロシア大会には「4や3.5」になることもあり得ます。

 

 今回のアジア勢の実績からしてその枠変更の意見が強硬となることも十分考えられますね。

今回の体たらく振りはアジア枠維持の発言権縮小にも繋がっているのでした。

アジア勢があの晴れの舞台に出場することがいよいよ狭き門になる日が訪れるかも知れません。

 

 さて、昔、サッカーでは「サドンデス」という言葉がありました。

野球でいう「さよならゲーム」に近いものですが「表と裏」の「裏」だけがその恩恵がありますので厳密には違います。

 

 サッカーにおける延長戦では、とにかく先に1点を取ったチームを勝ちにするもので、そこで試合は終わりになります。

日本の意見からその「突然死」という言葉を改めて「Vゴール」や「ゴールデンゴール」という名にしたりしました。突然美しい言葉に早変わりしました。

 

 現在は各国リーグや大会によって事前申し合わせのルールとしたり、延長前後半とPK戦にするなどになっています。

 

 その死という言葉を嫌ったのでしょうが、「突然死」とはなかなか的を得て(射て)いますね。

サッカーをはじめとした決死のスポーツというものの本来の姿を示唆しているようにも思います。

 

 私は仏教者として、人を殺す戦争というものは反対ですが、サッカーをたかがゲーム、お遊びとして言えばこれはハッキリ言って陣取りゲームでしょう。いわば戦争ゲームです。

 

 相手陣地に深く入り込み、いかにして相手の王様の首(ゴール)を獲るか、そしてその首の数を競うものですね。

発祥は一説に「ボール」とは「敵の首」だったとも言いますし。

 

 そしてまた標記の「ノックアウト ステージ」(knockout )の方はスポーツ界では普通に使われています。

これを和訳すると私たちが口にする「決勝トーナメント」ですね。

 

 「knockout」は格闘技の「KO」です。一般的に「負ければ終わり」ということですが、この語彙の隠れた思想は「白黒ハッキリつけようじゃないか」なのでした。

 

 そうですね、そもそも日本的では無いのです。その感覚。

「白黒ハッキリ」の歴史より、仏教的「中庸」や儒教的「孝養」が重んじられ「礼儀」を前面に推す社会でした。人間関係も穏やかに丸く相手の悪いところは目を瞑ること。有意義です。

 

 もっともそれらはイイ意味でいえばそういう表現になりますが、反面他の文化からすれば「なあなあ、うやむや、いい加減、適当、無責任」という言葉の羅列で表現できるかも知れません。

日本は私も含め、どこを見てもそのようなものばかり見受けられるようです。

 

 陣取り合戦は我が国では命がけの戦国時代を思い出します。そこで重用されたのは「まずは調略」でした。

サッカーは「ゲーム」ではあったとしてもそのような真っ向勝負の首の取り合い殴り合い―knockout―などというものに我々日本人は慣れていないのかも知れません。

 

 再度記します。あくまでもゲームですからね。

日本人選手は皆が楽しく躍動していませんでしたね。

プレッシャーを解くために「練習を休みにしました」とか「負けて悲しくて言葉が出ない」という姿を見ました。

楽しいはずのサッカーにプレッシャー?4年間楽しみにしていたことが重圧?ハレの日に体が重たい?これもまた不可解千万。日本に招へいした強化試合の相手国は試合より秋葉原でのお買い物に気もそぞろと言います。

その手のお相手に完全ホームで「勝った」と喜ぶ観客と、強いと錯覚する選手たち。

 

 Wカップに行って休みの日のお買いもの会を「リフレッシュ」と言葉を替えるのも結構ですが、全試合終了後にもっとごゆっくりされた方がよろしかったのでは。

 

 現場はこれからが本戦場。

彼らはポケットマネーを使ってでも居残って「本物のサッカー」を見学させていただくという謙虚さもあっても良かったかも知れません。

 

 口だけで「勝つ」「勝つ」と言っているだけでは進歩はありません。ホンモノを味わうチャンスがそこに転がっているのですがねぇ。お勉強するタイミングを逸して勿体無いことです。

 

 時にはふがいない自身に怒りを感ずることも必要かも知れません。まぁ周囲はあまりにも温か過ぎますが。

そういえばその[温かさ]も世界から「不可思議」と評されていますね。

コロンビアに0-3で負けたギリシャ選手の記者会見、マスコミの罵声の如く強圧的詰め寄りが思い出されます。

2位通過ギリシャは大逆転。日本戦の数的不利をひたすら耐えたことが、土壇場で生きたということでしょう。

 

 画像は御前崎にてソーダ水の図。そして国道1号東海道周辺(粟ケ岳)。

日坂から金谷までの山道は豪雨でしばしば通行止めになります。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 28 6月 2014 08:53)

    私はサッカーは素人ですが、日本が、なぜ決勝リーグへ残れると思うのか不思議でした。皆さんサッカーファンなら尚更に日本のチームの置かれてる位置が分かりそうなもんだと思いました。
    まあ おおかたはマスコミに踊らされた人々、マスコミの思うつぼに入った人々のお祭りと思えばいいのですがね。
    日本のチームの帰国のTVを見ると悲しくなります。
    あんなに沈んだ顔で帰らなくてもいいのに。
    もっと胸を張ってサバサバとした顔で帰ってほしかったです。
    マスコミは、力があるけど、出し方が問題です。
    いや それに乗る方が悪いのかな。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 28 6月 2014 18:22)

    ありがとうこざいます。
    各放送局は日本の敗退が決定的になってから、特集番組の連発でした。乗り遅れまじとするスポンサーが付きやすく安直に稼げる企画だったのでしょう。
    祭りの如くに盛り上げて「コマーシャルの機を逃すな」という感じが見えていました。
    空港にお迎えに大挙したファンらしき人々の温かい声援にも無言仏頂面でいる無礼に呆れかえりました。苦痛の如くの顔にも感じられました。なにより一層のぶざまさを醸し出していました。
    「このファンにしてこの選手」ともいいますので致し方無いのでしょうが、この自作自演らしき祭りは、参加せずに傍観していることが一番でした。