覚めるべき悪夢? いや、良き夢に変えたい!!

三尊形式の阿弥陀さんの脇侍には左脇侍の観音菩薩、右脇侍の勢至菩薩と決まっています。

尚、左右は「中尊の阿弥陀如来から見て」、ですので我らから見た場合は「左右」逆になります。

 

 「菩薩」という名称は良く耳にしますし、どちらかのお寺参り(浄土系は除く)でもお目にかかったりすることの多い仏像ですね。

しかし本来の「菩薩」とは「修行者」であって厳密に言えばそもそも「仏」では無いのでした。

 

 むかーし「○○は菩薩である」(○○は芸能人―女子の名)などという雑誌が発売されたことを思い出されますが、コレも齢がバレますね。

そのニュアンスとしては「菩薩は修行者」であるので銘々した人の意図はわかりませんが、仏教的にその表現を考えれば、当時余りにも奇をてらったタイトルとは思ったものの一応は間違ってはいないということです。

 

 さて、そういうわけで「観音さん」(観世音菩薩)も日本全国いたるところに衆生の心を離さず尊敬崇拝の対象になっていらっしゃいますが、世間様の誤解でしょうが、その修行者のことを女性であると思われているフシがあります。

 

 まず大抵その御姿はスレンダーで流麗でピシっとした天衣(てんね)をまとい、インディアチックのヘアバンドの着用をされていることが多いのでそう思われがちですが歴としたオトコですね。

 

 とはいえ、観音菩薩は修行者=庶民に近い信仰を対象とした「人」ではあるものの変化(へんげ 33種 「観自在」)の「能力」があると言われ、中国に興った仏教解釈(偽経)を通じて、「女性」のイメージが広がったこともあります。

 

 衆生のピンチに救けに現われる方の、いかにも優しい容姿とその感覚が「女性」あるいは「母」(→慈母観音)とオーバーラップしていったのかも知れません。

 

 尚、ヘアバンドなどと言えば失礼にあたりますが、そちら正式名称「宝冠」のおでこの辺りには大抵「化仏(けぶつ)」が見えます。

これが観音菩薩から見た中尊の阿弥陀如来で、観音さんが阿弥陀さんを深く尊敬している姿勢がわかります(観音さんは阿弥陀さん一筋)。

 

 真宗には現世利益に通じる観音様を讃える「観音経」の扱いはありませんが、このお経は真宗以外の宗旨共通の経典で、相良仏教会等の各宗派臨席の法要では「大慈大悲」を旨とする観音経が拝読されています。

 

 さて、現在静岡駅前の葵タワー(場所はここ)の静岡市美術館では「法隆寺展」(7月27日まで)が開催されていますが、今回のウリは平成10年に落成した「大宝蔵院」にある国宝の「夢違観音像」(銅造り 当初は鍍金 高さ87㎝)。

 

 「右手」の人々を救わんとして呼びかけるが如くの独特の「施無畏印(せむいいん 右手五本の指をそろえて伸ばして、手のひらを前に向け、かつ肩の高さに上げる)」と左手の「持物(じぶつ)」である「水瓶(すいびょう)」を持つ姿になっています。

 

 ちなみに阿弥陀さんの印は私が勝手ながら皆さんに紹介しているその御姿は、弥陀の「本願」、衆生への赦しの救済を本とする故の、「左も右もOK! OK!」です。

 

 「夢違い」とはその名の通り、私たちの見る不吉で悲しくなるような夢を美しく楽しい夢に変えてくれることを言います。

ただし現実の過ぎたことに関しては「儚い夢」として私たちはしっかりと味あわなくてはならないところ、言うまでも無いことです。