確かな一歩が肝要 「急がば廻れ瀬田の長橋」

「急がば廻れ」。

「やっぱりコレでしょう」という言葉ですね。

                 

 社会の移り変わりは迅速で、それらに対応しようと大慌てで付け焼刃、ショートカットを試みた挙句大きく踏み外して、却って遅れをとるなどということ多々あること。

おっちょこちょいで慌て者の私はいい加減なことをしては失敗してから、もっと確りやっておけばと後悔ばかり。

 

 先達の示唆は正に的を得て(射て)います。

出典は

「武士の やばせの舟は 早くとも 急がば廻れ 瀬田の長橋」

(もののふの矢橋のふねは・・・)です。

 

 東海道、近江は草津の地(場所はここ)。

京都に上るにあと一息。

ここで琵琶湖の岸、矢橋に出て船でスイスイ大津に出ればもう京都は目と鼻の先。

矢橋は今の琵琶湖を跨ぐ近江大橋付近でその橋には人口島の矢橋帰帆島を走る湖岸道路同、私は毎度御厄介になっています。

 

 当時の水路は相当リスクがあったようで気象条件が良ければ「スイスイ」ではあったものの、湖は時として風が出て思わぬ災難に遭うこともしばしば。

 

 不確実な行路でありそんな危ない思いまでして、たまたま早い到着を期待するよりも、少々遠回りして瀬田の唐橋まで南下して琵琶湖岸を迂回した方が何より確実で安全ということを歌にしたものです。

 

 私だけではなく、社会の人も当然に「遠回り」を嫌うでしょう。

特に無意味な時間の無駄は・・・。非効率と遅延によってマイナスの結果を招けば招くほど腹が立つものです。

 

 しかしその遠回りが一概に無意味で無い場合も世の中には多くあります。

「高効率と素早い対応」のみが持て囃されている時代(~Bluetooth)ではありますが「足元を見ながら、固めながら」「省略しない丁寧さ、正確さ」も大切なことでした。

 一生涯念頭に置いて行動したいものです。

 

 画像は広重、近江八景「矢橋」。しばしば比叡の山超えの風は突風となり湖面の舟を翻弄させました。