おそるべし「無知との遭遇」2 

この齢になっていよいよ新しいものについていけない自分というものに気づきます。

以前はもっと「対応力と俊敏な動き」が売りだったのですがねぇ。もっとも新しくも何ともない常識的なことであっても「はっ」と気づかされること多々ありますが・・・。

要は本質的なものなのでしょうね、私そのものの「大うつけ」。

また、寺というまったり感満点の場所に根が生えてきたといえばそうなのでしょう。

 

 そのような家の私の息子(次男)が、黙って見ていれば何やら高3となって、来年は受験と。

信じられないというかいやはや阿呆になるくらい時間の経過の早さを感じるわけですが、見ていれば要領の悪さとお頭の容量の足りなさのみを私から譲り受け、のんびり、ぼんやりで、チラッとでも彼を見ればイライラがつのるばかり。

かといってすべておまかせ、ありのまま。どうにもなりません。

 

 やはり「この者」は自分にもましてモノを知らない本物の大虚けかと、彼の一挙手一投足を咀嚼しようとしている今日この頃ですが、その日、小僧は私の車の助手席に乗り込んできて、オーディオのモニターをいじくり出しました。

 

 私の触ったことの無い画面、「Bluetooth」を開いてセッティングを始めました。画面の案内もありますが、瞬時にセット完了。

 

 片手には彼が学校に持ち込みと所持が禁止されているスマホ・・・これは授業中、仲間内のウケ狙いから教師の後姿を撮影してLINEで流し、それがバレて反省文を書かされその内容(不所持)を始末書(反省文)に盛り込んだためです・・・を取り出しました。

 

 普段、家では私のスマホにダウンロードした音楽をヘッドフォンで聞いている姿を見ていますが、いったい何を聞いているのか想像もつきませんでした。

 

 以前ブログで記した時は、私の好みばかりの曲でいくら何でも「渋すぎ」、絶対親を騙しているのだろうと思っていたくらいです。

 

 彼のそのちょっとした作業はそのスマホにダウンロードしていた曲をBluetoothでカーオーディオに飛ばして、私どもに聴かせるということでした。

本当にスピーカーから音が出てくるのかも半信半疑でしたが、それ以上に披露されるその曲たちがどんなものか興味津々。

 

 若い時代の音楽的趣向というものは結構、その子供の考え方がわかるというものです。よってたとえば、「AKB・・」とか「ももくろ?」(これは母親が言っていました)、あるいはその手の系統だけは勘弁してくれというところはあったのですが、今回のお披露目会も結果ホッとさせられました。

 

 ドライブ中ずっと聞いていましたが、日本人のミュージシャンは一切無し。

英語圏ばかりの70年代のロックからレゲエ、ハウスミュージックの類です。サンタナの「黒魔術」(ブラック・マジック・ウーマン)もありましたね。

少しばかり感動しました。また騙されているのかとも思いましたが、ひとまず安堵させらるどころか一緒に聞き入ってしまいました。

 

 洋楽の懐メロロックをエッセンスに、最近の私の聴いた事の無いハウスミュージック、悪くない選曲でコロッと騙されている私がおりました。 

 

 「Bluetooth」なるもの、デジタル信号を無線で飛ばす装置と漠然とその存在は知ってはいたものの、こんなに簡単に使用できるものかとまさに驚愕しました。

この齢になると面倒で何もしなくなっている身です。

まさにハイテクの新風を披露してくれたというワケですね。

 

 その驚きとは、私が「放置」状態で持ち腐れだったカーオーディオの機能を引き出してくれた彼にも向けられたものであることも確かでした。

 

 これはまた便利というかお気軽。

このような形でインターネットを介して自分の好きな曲だけを選んで聞くことが出来るなど凄すぎる時代であるとまさに驚いた次第です。

ネット上(空間?)に溢れかえるその手のものがワンクリックで体感できるなど、私の彼と同じ時代には想像もつかないことでした。

 

 半年に1回程度、小遣いを握りしめてレコード屋に出向き、散々悩んで1枚のLPを購入したことなど遥か昔。

以降、ハード・ソフトの変遷は続き、今に至りました。

 

 このような劇的な変化があるとなれば企業も「ぼーっ」としていたらあっという間に淘汰されかねない時代であることも確かですね。

 

 You Tubeから無線で飛ばせるのも利点です。

あとは端末のバッテリーに対応できれば「握手会」に行くこともハナからありませんし、CDショップはまったく不要になってしまいます。

 

 ちなみに今流行りものの「違和感大ありの集団」の件、CDを購入すれば「握手券」や「投票券」がもれなくついてくるという寸法だそうです。

各自の「お気にいり」のために、それらをゲットするわけですが、中には大量に同じCDを買いまくっているという話も聞きます。

 

 所詮大人の作ったコマーシャル(販売手法)、乗せられて踊らされ、あの若い衆ら(時に「オッサンだろ」と思わせる御仁も見受けられますが)はファンといってはそれまでですが本当に大変です。

デニーロの「ザ・ファン」という映画も思い出しました。

 

 傍から見ていると先日お伝えした薬物と同様、依存症的常習性のようなものをも感じてしまいますが、大丈夫ですかね、これからの日本。

まぁ私などさっさとおさらばでしょうから、「後の事はどうぞご自由に」ってな感じ。

これも「ありのまま」でごまかします。

「国を憂える」「国のため」など気に留める齢ではありませんし。

そもそもオヤジがどうこういえるものではありませんよ。

若い衆が作って行くものですからね。

 

 息子が「あっちに」走っていないことはとにかくラッキー、

そして驚きの一日でした。