ぶっちゃけかなり怖いんです レジェンド2

画像は2011年のNHK大河ドラマ内の「お江」(崇源院)。

浅井長政と信長の妹、お市の間に生れ長政亡き後、お市について北ノ庄、柴田勝家を父としました。

勝家が賤ヶ岳で秀吉に敗れて滅亡後は流転、徳川秀忠に嫁ぎ三代家光の母にもなりました。

 

 彼女のビデオキャプチャー画像は「椅子に座っている図」と言えばそうなのですが、これが以前ブログでも記した「曲彔 きょくろく 曲禄」です。

要は仏具で、僧侶、導師が座するものです。

 

 「江」の図の安土城に実際にそれがあったかどうかはわかりませんが趣味的にそれに腰掛ける家具として居間に置くことは「アリ」かもしれません。

ただし座り心地はまったく良くありません。

 

 最近はネット通販でも出ていますので、検索していただければ価格も形状も詳細はおわかりになるとは思いますが、大抵そのセールスポイントは安全性、耐久性を強くうたっていることがわかります。

 

 物事には裏に相反する事情があるとその「安全」という言葉を重ねて主張することは周知のこと。

という事で「曲彔」は安心して腰を沈めてゆったりすることのできる品物ではありません。露骨に金物を使って補強できないという点があるかも知れません。

 

 私はこの世界に居て、この不安定な椅子の使用時、細心の注意を払います。

現在、この「椅子」がセットされている場所はまず「葬儀式」。

先日、マムシに関わる当地の「伝承」を記しましたが、ここに私の耳にした「曲彔」に纏わる伝説を記します。

 

 葬祭屋さんのお話は2件とも同様。

僧侶が厳めしい顔をして入場し、葬儀壇の仏様と遺影を前にして式を厳かに勤修する様子はいつもの通り、しかし突然それは起こったそうです。

あの「曲彔」に「安心」して深く腰を沈めていた僧侶が瞬間的に崩れてバラバラになった「曲彔」とともに床に転がったという話です。

 

 普通なら、そういう時は騒然となっても不思議ない場面ですが、状況が状況だけに一同面色蒼然となるばかり。

厳(いか)めしくて、僧衣着飾った坊さんが目の前で大音響とともにひっくり返れば普通なら「笑う所」(失礼!)です。

一同必死に笑いを堪え、ホール担当者は機敏に次の椅子を用意して残骸を片付け、僧侶は憮然とするも何とか式を遂行したとのこと。

 

 その手の事件が2、3度耳に入っています。

よって「曲彔」は「危ないもの、信じてはいけないもの」の代名詞となっていて、自分的にはあの場に於いて尚且つ緊張を強いる代物でもあります。

 

 私がそれに腰を掛ける際は、何時壊れても対応しやすくするため、最近では僧侶用に用意された履物は着座したら脱ぎ、重心をできるだけ前よりにして、曲彔には浅めに座ることにしています。

 

 後頭部などを打って、意識が飛んだりしたらもっと恥ずかしいことになりそうですし、そもそも式がおじゃんになりますね。

僧侶も怒りたくても怒れない状況です。

我が身に降りかかった突然の不幸な出来事にも「何事も無かった」かの如くの平静を保ち、厳然と式を進める坊さんの姿がカッコイイでしょう。