昔「れりびー」 今「れりごー」 ありのまま

小田原は本町小学校時代(現 三の丸小学校)、私は小学5年6年とソフトボールチームに入っていました。

市内の18区~32区が当小学校の学区、区割りでしたが、私の住む南町三丁目は32区。

 

 5年生の時は補欠でしたが、6年生になって何とか試合に出られるようになりました。その際、その後東海相模の野球部に入ったような強者の揃った31区が断トツの優勝候補でしたが、どういうわけか小粒揃いの私たち、32区が優勝したことをその時のうまくいった自分のプレーとともに鮮烈に記憶しています。

そのチームで「耳タコ」で覚えた言葉が「離塁アウト」のルールがあるにもかかわらず雰囲気だけで意味も知らず皆口にしていた「リーリーGO」。

 

 これはピッチャーの投球直後に「ゴー」(走れ)ということですね(りー=リード)。

野球とはちがって投手が投げる以前にベースから離れれば「アウト」の宣告でしたから。

 

 私はランナーに出れば「まずは成功」と足自慢を自負しているゆえの盗塁を「命」としていました。

四球で出れば三塁まで「盗んで」暴投でホームに還るといった「相当セコイ」試合運びをしたものです。

 

 さて盗塁=「steal」は「盗む」からきた言葉。

「他人様の所有物をこっそり盗る」ことですが、野球ではその「スチール」は試合運びのうちの一つです。

「こっそり」するものです。まるで「マムシ」ですね。

 

 社会で当然にお縄にもなり非難されるコソ泥まがいのことをソフトボール試合中うまいこと成功させればヒーローになってしまうという一面があるということです。

スポーツにおいては全般その傾向がありますね。

 

 案外こういう修練の積み重ねが他者を押し退けて自分の欲しいモノをGETすることに重大な意義と満足を感じさせる風潮に至るきっかけだったと言えるのかも知れません。また、それ得る事を「勝利」ともいいました。

 

 昨日記しました、「国盗り・・・」であるにしろ「盗った者勝ち」の世界観です。最近は嫌悪すべき言葉「勝ち組」なんぞの言葉も持て囃されている様。皆そのことを一辺倒に生きて各自思い込んだそれぞれの「幸福」を得る事のみに生きているようにも感じます。
 

 たかがスポーツ、たかが「ゲーム」ですが、みなさんその勝負にムキになって自分が実際に参加したり、好みのプロチームのファンになって一喜一憂したりです。

それでいて当の本人の生き様ときたらやはり「勝ち馬に乗りたし、勝ち組になりたし」ということは一様です。

 

 これはいわば子供の頃から、チャンスを虎視眈々と狙い、「隙あらば盗む」ことを良しとした生活をしてきたということもまんざら違わないのかもしれません。

 

 「一つでも先の塁へ」から「前向きに貪欲に、やればできる、決してあきらめない、努力は必ず報われる、がんばれ、GETせよ」という叱咤激励の言葉とともに成長してきました。

 

 大抵の人たちはみなそう言われて、育ってきたのではないでしょうか。

「まったく比喩が間違っている」と叱られそうですが、私は真宗の教えとはきっとこうだと思います。

 

 「時には後ろに戻ってもいい」から「来た道を振り返って利他(他者の利益こそが自分の利益)に、出来なくて当然、出来たらいいね、どんどん諦めろ、努力と成功とは別物、成就しないこともままある、挫折もOK!、また立てばいい、頑張らなくてもいい、なんとかなるさ、おかげさま」でしょうか。

 

 そんな時、ビートルズの "Let It Be" 、耳にそう聞こえる

「れりびー」の歌詞が思い浮かびます。

訳せば「あるがままに」。

 歌詞を紐解けば当然ながら宗教的、私たち仏教徒の感覚にも沿うもので、聞こえていた時は曲だけのイメージでしたが、詩の内容を見聞して再感動したものです。

 

 そんな中、今の流行りは「れりごー」。

ビートルズの"Let It Be"の「Be」が「Go」に変わって和訳は「ありのままで」と微妙に変化。

子どもたちが皆で口ずさむデイズニ―映画「アナと雪の女王」の主題歌です。

和訳はより仏教的(むしろ真宗的)になったような気がします。

 

 本当に本当に「れりごー」の気持ちで私たちが生かされていることに気付かされれば、それぞれの皆さんの人生にとっても日本にも世界にとってもすばらしいことだと思います。

時に目にするジリジリ―<自利自利>するような政治屋稼業の方々の喧喧囂囂には辟易するところです。

 

 いまさらディズニ―でもあるまいし・・・という気持ちもありますが田舎オヤジにとっても興味ある1本です。

 

 画像①は「ありのまま」の氏真と梅王丸。

②が静岡人の鷹揚さ、ツバメの巣をケアする図。道の駅掛川にて。

 小田原で私どもが転居した3件目のアパートの大家さんがヒステリックにツバメの巣を掻き落としていた姿を思い出します。

大家さんの奥様は元は横浜に住んでいたらしく小田原住民を「民度が低い」と罵っていたそうです。

まぁ私のことを仰っておられるかと存じますが、腹に一物があったわけではありませんが、退去時確りと「敷金返還請求」により吹っ掛けられたそれを少なからず取り返しました。

あの時は「請求されるまま」「ありのまま」というワケにはいきませんでした。鷹揚などという語とは程遠自分がありました。

 

 その後私は逆に横浜に住むことになりましたが小田原も横浜も、人種、風土に関してそう変わるものは「さして無い」ということが分かりました。当たり前ですね。

 

ああいうのを「目くそ鼻くそを笑う」というのかも知れません。

むしろその手の言葉が自然に口から出る人の度量というものが分かるというものです。まぁ井戸端的「ハイソ」を語る主婦のハッタリだったのでしょうが。

 

 ③はそろそろ散り始めた当山の躑躅。あとは汚らしくなるだけです。