胡桃に凝って右往左往 AED使用を念頭に

日曜日はこのうえもないイイ天気。

「行僧原」(鬼女新田)での法事はベストコンディションでした。

施主以下参列者も鶯の囀る爽やかな空気溢れるこの新茶新芽の道を進むことはさぞ心地良かったことと思います。

この地区の墓地は御一統ともども開墾された茶畑の奥にまとまってありますので。

 

 歩きながらの会話は、

「今日明日にでもお茶たちは刈り入れを待っている。

数年前はこの時期で霜が降って全滅した。

この辺りは新種の茶が栽培されていること。

黒い遮光シートが掛かってるお茶は、ひと手間かけておいしくしようとしているもので、シートは外しながら刈り込むもの。

スグ集積所に持っていかないと味が低下してしまうこと」等をお聞きしました。

何しろ今年のお茶のデキは香りも味も相当イイらしいですよ。

 

 お斉が済んでから最近の毎日の日課となっている大工仕事を少々、そして今「マイブーム」になっている「胡桃」(くるみ)の買い出しに。

 

  御存知の方が多いとは思いますが、先日「胡桃の成分が血管にイイ」という民放番組を見てこれは「試す価値あり」と始めた「一日7個の胡桃食」。

リスになった気分です。

 

 何せ当家代々もそうですが、周囲を見ていますとやはり心臓と脳の血管系の病気が多く、それを原因として重篤な結果を招いている事案を頻繁に耳にしています。

 本日のお斉の席でもお隣さんが心筋梗塞、お向いさんが脳梗塞と「既の所」を語っていたくらいです。

 

 私の小学生時代のことですが、「胡桃採取」のブームが起こりました。胡桃をピカピカに磨いて2個を手に握ってカチャカチャ鳴らしたりキレイに真っ二つに割ってコレクションにしたり、とにかく胡桃を持たないということに「恐怖」を感じた時期がありました。

 

 友らからその話題にのり遅れまいと小田原、城山周辺の林の斜面を駆けずりまわって胡桃の実を取り歩きました。

そのブームは適当にヒートアップしたのち皆、徐々に冷めて行きましたが、私はその時はじめて胡桃を口にしたものです。

 

 美味くも無く、口の中が「わしゃわしゃ」して時に油っぽいという食感でしたが、その後ケーキやクッキーに載せられたそれを口にしているうち、まったく違和感なく口の中に放り込めるようになっていました。

 

 よって気が向いた時に「7個」まとめてそのまま食べることは今や何も苦になりません。むしろ料理に使用することなど面倒でそんな手間ヒマ、やっていられませんね。

 

 というわけで、胡桃の効用については各各お調べいただくこととして・・・、昨日は品薄状態になっているその品を、当地から少しばかり遠い場所のショッピングセンター狙いで向かいました。

ところが、あの番組恐ろしや、胡桃は一つも残っていません。

相当の量が置ける棚が空になっていました。

 

 残念、苦笑して食品売り場を後にしようとしていると、混雑した店に響き渡るけたたましい警告音。

それは店内に設置されているAED(自動体外式除細動器)をケースから取り出したときの警報音でした。

それを取り出した際には凄い音がするものだと驚いた次第です。

 

 私の目の前で店員さんがそれを持って近くにベンチにもたれかかる顔面蒼白の中年女性に駆け寄る姿が飛び込んできたのです。

 

 しかし4名程の店員さんが囲んでのその対応は、まったくモタモタでハラハラさせられました。

彼らはどう対応してどうそれを使っていいかわからないのですね。

とにかく他の客の視線から守るために「遮蔽物の構築」に頭を悩ますのみの姿。

 

 そういう私も実際にこれを使用したことはありません。

しかし「昔取った杵柄」、沖縄時代に何度も講習を受けた心肺蘇生と気道確保、マウストゥーマウスを叩きこまれていましたので、「いつでも実践OK!」とこの数十年常時スタンバイしている私は(唯一の躊躇は寺の名前の入ったツナギを着ていることでした)、「さぁ、(あの輪に)飛び込むぞ」と連れに一声掛けたところにちょうど救急隊員がやって来たのでした。

 

 だいたいAEDの操作など、要は周囲の人の「ヤル気があるかないか」だけですね。

使用の必要・不必要の判定は機械の方で検知してくれるので誤操作や我が身の不案内の恐れなどの心配は皆無です。

意識混濁・異常呼吸(死線期呼吸)・心肺停止を疑う時は基本、AEDの選択を即座に考慮すべきですね。

 

 皮肉にもAEDの設置場所とその昏倒した方の直線距離は5mも離れていませんでした。

ショッピングセンター側で患者を確認してから119番を発し、救急が到着するまで、少なくとも10分以上はかかっているでしょうが私が目にしたのは救急到着の30秒前ということになります。

 

 ではそれまであの人たちは何をしていたのでしょう。

患者はベンチに腰掛けられて首が前傾状態、話になっていませんね。

パーテーションと毛布の用意などの配慮は二の次でしょう。

 

 倒れる場所、発見される場所も「人の運」ですが、折角のAEDも宝の持ち腐れであることをつくづく感じさせられました。

AEDと救命処置は救急到着前、発症者発見初期にチャレンジするものですね。

まだまだその手のこと、集客主催者側も従業員教育等、やらねばならぬ事は山積していますね。

 

 ちなみに私がその輪の中に飛び込んだとすれば(講習での記憶している対応)・・・

①肩を叩くなどしてデカい声で名前等を聞き反応を見ます(声を出すことによって周囲注意喚起し医者等がいればその耳に入り専門家のアドバイスが期待できます)

②ベンチに腰掛けさせたままではなく平らな床に寝かせます(店員さんは床に寝かすことに抵抗があったようです)

③先着発見者に脈の有無について聞き、未確認の場合は脈を診ます

④脈・呼吸が無ければ周囲にAEDを用意させて胸骨圧迫と気道確保・人工呼吸を行います

 

④の胸骨圧迫(心臓マッサージ)については100回/1分間

とその間3回/人工呼吸を行います。

 

 私が沖縄にいた時は、胸骨の骨折についてを注意点に挙げていましたが今は「折ってもOK」のガイドラインが出ています。

重篤な脳障害と骨折を天秤にかけたものですね。

体重をかけて何せ5㎝ほど胸を圧し込みますので相当の重労働となりますし、骨への力もかなりかかります。まず年配の方なら骨折すると思います。

尚、心肺蘇生、心臓マッサージの詳細はどちらにもありますので検索を。あなたの身近な人を救えるかもしれません。

 

 マウストゥーマウスはハンカチを用意して患者の鼻を右手でつまんで鼻の孔をふさぎ、左手で顎を押して肺-喉-口をできるだけ直線状態にしてから、一気に空気を吹き込みます。

 

 その際の対応方法を知り、その時の状況を常にシミュレーションし、その時「是非自分が役に立ちたい」と思って「動きたい」という気概と行動力があれば、・・・「何とかなりましょう」。少なくとも後悔することはないですね。

 

 その環境が世に広まれば「私自身」がその状況になったとき、最良の対応を期待できるのかも知れません。

そんな時、知らんぷりしないで気軽に声が掛けられる世の中にしたいですね。

 韓国の船舶事故、津波の大川小学校しかりですが、しばしば公共(その場担当者)というものは平静を装って周囲に知らせまい動揺させまいといった動きをします。

もっと「慌てて」もいいはずです。

 

 野次馬の躰は早々に退しましたが、あの方が無事に回復することを望みます。ただし「あの大切な時間」の従業員さんの対応について10分間の無呼吸を想像すれば大きな身体的ダメージを残すかも知れません。いや「致命的」でしょうが・・・。

 

 昨日の件はAEDを「寺にも用意検討しろ」との如来様の仰せなのかも知れません。いよいよそれを感じる昨今です。