イキナリ本題を語られても・・・電話は怖い

先日、「株式会社の〇〇ですが、弔電をお送りしますのでご住所を教えてください」の第一声。

事務的なれど若い女性の、丁寧言葉で、感じとしては悪くありません。

弔電は今やNTTだけでなく各業者も参入しているようです。

 

 その日は昼食抜きで朝から一日中、大工仕事。

早めの夕食をとったのが17時頃。ひと風呂浴びて、「うとうと・・・」。

そこへ1900のニュースの頃、その電話があったのでした。

 

 丁重な感じの言葉ではあったものの、会話としては成立していませんね。一方的な依頼ですから。

そもそも当方に葬儀の予定などありませんし、その事を聞いた覚えがまったく無かったのでした。

 

 最近の葬儀は、その情報について「寺よりも葬儀社が先」ということが一般的で、お寺の知らないうちに段取りが進んでいるということなどよくあることですから、「ぶしつけ風物言い」等こちらとしても慣れたものです。よって他意もありませんが、念のために日にちを問えば、「4月18日です」との回答。

 

 驚きました。一体どなたが亡くなったのだろうという単純なこともさることながら、その一瞬に頭の中を色々な念が沸き起こり、私なりにその現実の「理解」を試みます。

当家縁者においても体調不良者が多く、近親者の「可能性」もあります。檀家さんだったらどなただろう・・・等、容量の少ない頭は大混乱。

 

 そして、そもそも18日は既に法要の予定が入っていますので、いわゆる過失、「ダブルブッキング!」か・・・とも。

焦りました。「誰が一体受けた葬儀だろう」との疑念と「わずかな昼寝の間に事が進んだ」と「失念!!」の悔恨が入り混じる中、それでも何とか「どちらのお寺へお掛けですか?」と僅かな抵抗を試みます。

そしてその返答も期待に反して、無残にも「だいたくじ様でございます」と。

 

 これまでもその手の電話はまず、近隣のお寺との勘違いからのもので、内容が内容だけに心穏やかではありませんが「事なきを得て」ホッとした経験は何度かあります。

「一同参列してお待ちしていますが・・・」などという法要出仕の遅参催促の電話もありました。

その瞬間は頭の中が真っ白になりますが、心を落ち着かせて聞き返せば聞いたこともない名と某寺院宛てを告げられてニヤリとすることもありました。勝ち誇ったように「うち、だいたくじですが・・・」です。

 

 考えてみれば、心臓に悪い無茶苦茶な間違い電話の部類ですが、間違いとわかった時、余りの安堵感から怒る気も失せて、つい顔がほころんでしまいます。

 本当は激昂されたとしても致し方無いほどの間違いですね。

此処はお寺だからまだしも一般家庭で、それらの知らせを受けうるシチュエーションを抱えている家もあるはずです。

 

 どちらかでも記しましたが、当山電話番号はあまりにもその手の電話が多いのと防犯的理由からNTTへの登録を解除していますので、「ナビ検索」等では「登録ありません」となります。

(それはそれでご不便をおかけしていますがお許しください)

 

 今回の電話も「慌てん坊」のネット検索による間違いだったと思います。

拙寺の電話番号は檀家さんかインターネットの寺のサイトからの情報でしかわからないはずですので、それだけにその手の電話が入った場合は大いに驚き、慌てることになるのです。

 

 「一応、再確認してお電話し直してください。もし、間違っていたとしても必ず連絡くださいよ。」と電話を一旦切って5分ほど経つと、「さきほどの電報の件、長野県のだいたくじでした」というオチ。

サイトを見回していただけば住所もしっかり記してあるのですがねぇ。

 あの時、私はあまりに安堵し切ったせいで記憶が飛んでしまいましたが電話口からの「謝罪系」の言葉などは一切無かったと思います。

 

 いやはや、まず会社の問い合わせの御担当殿、「電話の掛け方」、今一度再考くださいね。

今回も寿命が縮まりましたよ。

電話は怖いものです。こちらの状況も顧みず時をも憚らず無慈悲に鳴り響きますからね。

 

 18日の法要は無事終了。一周忌と五十回忌と百回忌でした。なかなか巡り合えないご縁ですね、百回忌。

雨中東京より遠路ご参拝御苦労さまでした。

次回は晴天に浮き立つ富士山をご覧じ頂きたいと思います。

 

 境内は八重桜二本が満開。17日の画像ですか、前日は初夏の陽気でしたのでこの日の急変は残念でした。

そして画像はたくさんのお仏供の一つ、東京武蔵村山のお店のズッシリとしたお菓子の箱。