花岳城(城源寺)→総構→伝肇寺は白秋の道

小田原の教職員だった先代(父)は、一時期、市の教育委員会の仕事で北原白秋のレポートを記していたことがありました。

家でガリ版製作、鉄筆でロウ紙を削るという作業を毎晩のように見ていたのですが、今考えると、「よくそんなことをやったものだ」と感慨にふけるほどの手間のかかる印刷用原版製造作業でした。

 

 繊細で緊張する作業はわかります。しかし、狭い部屋の中で子供がウロチョロすれば、自ら誤字等のミスをやらかしたことに、勝手に癪に障って八つ当たりすることになりますから、子供の目からすれば、毎度の父親の試験問題製作作業のそれに加えたこのレポートの作成作業は酷く迷惑したものです。

 

 そんなわけで「北原白秋」は地元に深く根差した文学者としてのみでなく、我家のお茶の間での父親の説教付きの「迷惑な人」でもありました。

 

 その北原白秋は誰もが子供時代から耳に馴染んだたくさんの童謡の作者。

全国的にも有名な詩人で、小田原市も南町に歴史文学館を設けるなど「文学の街」を標榜していることもあり、いつぞやからか小田原駅の西口から城山、白秋の住まった伝肇寺さん経由、西海子小路の文学館までの約4㎞の「白秋 童謡の散歩道」が整備されるようになりました(小田原市案内)。

 

 これらの小径を散策しながら白秋はそれぞれの情景に思いをめぐらして歌詞を綴ったといいます。

私は「守株」(しゅしゅ)でお馴染み「まちぼうけ」を聞いて自らの機に臨まない愚かさに気付かされ、時折り「からたちの花」を耳にしては何故か目が潤む。「人生」について「示唆的」を感じます。

 

 両曲とも詩が白秋で山田耕筰の作曲です。

「からたちの花」は少年時代、10歳で父親を亡くした耕筰が印刷工の見習いに入った時、その仕事の辛さについて白秋に物語った事を白秋が詩にしたものですね。

「泣いた」のは山田耕筰だったのです。

 

 この歌からは「私の子供の頃の思いと『子供』そのものたちの思い」「歩みには辛いこともある」「しかし何とかなる」「優しく見守ってくれている人がいる」「時として『成果』も成就できる」そして「心地よい懐かしさ」「琴線に触れる哀愁」など一言では言い表せない色々な思いが湧いてきます。

 

 ①その散歩道途上は小田原城総構の道。昨日記した花岳城址、城源寺さんの境内にも白秋の碑が建てられています。

 

祭の競馬

「 小さな  白いお月さま  朝から祭を見に来ても

         まだ馬が そろはぬぞ  まだ馬が そろはぬぞ 」

 

②③④城山に上がって小峯の総構大堀切。城南中学裏の蓮舟寺さん境内地にせまる土塁。

⑤白秋「からたちの花」を紹介する看板。⑥~伝肇寺さん。