死に際の養生こそ 心がけるものなり

先週の大河は、私の選ぶ、戦国の梟雄ベストスリーの一人、松永弾正にスポットが当たったといってもいいような展開でした。

 松永は他の2人と同様に信長の歴史を記すうえに欠かすことはできない人ですが、これまでの劇中のそれは、大抵が「ざっと」流すものか、せいぜい城の爆発シーンで終わることが多かったものです。

今回は案外、信長が陳列された「名物」を前フリ、松永の信貴山城の内部等、少々ですが謀反の経緯まで触れて描かれていました。

 

  もっともストーリーが官兵衛の長子、松寿丸(黒田長政)を信長の人質に出す際の親子の葛藤を描くシーンの演出として効果を出すための狙いがあったと思います。

 人質と出されていた12歳と13歳になる松永の子(孫)が六条河原で斬首されるシーンもありました。

ちなみに残り二人の梟雄に関しては、私は斉藤道三と荒木村重を選びたいですね。

 

 尚、どちらかでも度々触れていますが伊勢宗瑞(通称 北条早雲)は出自もハッキリしてしたこともあり、選外です。

 

3人には共通点も色々あります。

 

 「梟雄」というくらいですから「非常識」を持ち合わせていなければ面白くないワケで、良きにつけ悪しきにつけそれぞれがその個性というか人間味を爆発させています。

 また、時として不可解、意味不明の行動に行き当たり破滅するなんてことは私には理解できるような気がします。

破滅までに辿ることは稀なのでしょうが、人間という生き物はいつもどこかでバクハツしたくなっていて、それを止める力と背中を押す力が拮抗している状況に置かれていることがあるのではないでしょうか。

 

 たまたまうまい具合にコントロールできていれば安定を保ちつつも、タイミング次第、微妙な読み違いや錯誤によって引き起こされる動揺によって一気に心が崩れてしまい「真逆の判断」になる事など絶対にあり得るとことだと思っています。

 

 それだからこそ、その不可思議な人間の振舞とその結論がどうしても悲しくて哀れでそして、彼らの面白味を醸し出しているのだと思います。

 

 3人とも織田信長との関わりが強く、道三は義理父としての信長からの尊敬もあり3人の中では別格ですが、松永と荒木もそれぞれ信長からはむしろ厚遇を受けていたということは一緒です。

 

 それがそれぞれで反旗を翻して信長に牙を向いたというわけですが、それも両家ともしっかりと人質まで出していたこと、そして何よりも茶の湯を愛していたことも共通でした。ただし死ぬということにおいては少々状況が異なっていますが・・・

 

また2人とも足利義昭や本願寺と通じていたという共通の推論もありますね。

荒木村重などは一説に信長に命じられた本願寺攻めを忠実に取り掛かるも裏では兵糧を流していたという噂もありました。

一向宗擁護の姿勢が露見して破滅したと推察すればなおさら彼にも同情したくなります。

 

 松永弾正についてはちょうど一年前に信貴山城に思い立って向かったのも「潔い死にっ振り」という彼のイメージに「感銘」を受けていたためだったのですが、しばらくたってからもそれを思い出しては今一度信貴山付近に立ち寄ってみたくなるほどに強烈なキャラクターでもありました。

 標記は彼のその意(辞世)を記したものですが、今回のドラマでもその線で描かれていました。

どういう「養生」をしたかといえば、火薬を詰め込んだ「名物 平蜘蛛窯」にろうそくを差し込んで自爆するものです。

 

 ドラマを見てろうそくを火薬に突っ込んだたけならば火は消えてしまうだろう思われる方もありましょうが、「和ろうそく」なら、点火は間違いないところでしょう。和ろうそくは火は消えにくいということと芯が導火線の如くに火が消えずに残りますので点火できるはずです。

試したことはありませんが・・・。

 

 謎だらけの彼の行動とともに世の中から消えてしまった筈の茶釜はここで見ることができます。

画像は遠州浜名湖の「舘山寺美術博物館」所蔵の「平蜘蛛茶釜」。

歴史上茶釜は松永弾正久秀の死際に、割られたか火薬を詰められて火を付けられたことで逸失しているというのが通説。

 信貴山城焼失後「信長が掘り出した?」らしいのですが、後世その手の話は何処にも出てこないようです。

信長ほどの目利きが所望した「名物」がこの地方の小さな博物館に陳列されていることも不思議な事ではあります。