大河「官兵衛」 刀剣と仏像について一言

どうでもいいような一言。いや二言。

時代考証をされている小和田先生の専門外の事です。

聞き流して捨てておけばいいようなことですが敢えて記させてください。

 

 前々回ですが、官兵衛が信長から拝領した「圧切長谷部 ~へしきりはせべ」(昭和28年国宝指定)という刀のエピソードが演じられていましたね。

この刀の由縁は省略します(こちら)。

 いくら口八丁の官兵衛に言いくるめられたとして、あの信長が初対面のそれも小寺政職の「代理人」風情の者に、あの名刀を「くれてやった」ことは疑問中の疑問ではありますが、その件は通説ですので、「そういうものか」と受入れてはいますが、映像ではその後の羽柴秀吉が、その刀をがさつに抜いて顔前に刀身を持ってきておしゃべりしていました。

 

 私の知っている現在の「お刀拝見」の作法はアレとはちがいますが、主君の大事な刀を部下が拝領したら(嫌味とやっかみを込めて)そんなものか、というところと若き秀吉のおっちょこちょい振りを演出したものと考えればいいのでしょうね。

 ちなみに人様の刀を拝見する際に刀身を顔の近くに近づけてペラペラしゃべるなんてことはシロート呼ばわりされてしまいます。

刀は唾が飛んで錆になることを大いに嫌うものですから。

刀を拝見するという視点と着眼までの恰好を一瞬だけでも配慮してくださればより「素晴らしい刀」の感じを出せたかも知れませんね。

あの刀は当時でも著名なものだった筈です。

 

 さて2つ目は前回の劇。石山本願寺の顕如が出てきました。

大河でもそうは出てこないシーンです。

「これは珍しい絵」と思って凝視すれば阿弥陀如来か釈迦如来判別不能の坐像でした。

立ち姿の阿弥陀如来か名号の軸か阿弥陀如来の軸が正解ですね。荘厳も適当、まぁこういうシーンはわざわざ坊さんを呼んで聞くまでもないと思われたことでしょう。

そこまで突っ込みをいれる視聴者は稀だろうと判断されたのでしょう。

いよいよ小寺政職の「赤鼻」が鼻につくようになりました今日この頃です。これも史実とは離れたNHKの「お遊び」とのことです。

何処かの官兵衛を描いたドラマでは当時の「姫路城」に天守閣がそびえていましたのでそれよりは全然OKですが。

 

画像は大井川下流から見た粟ケ岳。桜の名所でもあります。

今年の開花は遅めでしょうか。真冬に逆戻りの中、極寒の本堂で当山世話人会がありました。。