宗務と寺務と雑務 寺男雑感

岡崎教務所主催の研修会が掛川のホテルを会場にして1泊2日でありました。

檀家さん主催のお斉は例外ですが、酒宴の苦手な私は例によって、お泊り無しの「通い」です。

本当は初日の研修会の夜のその宴、「懇親会」に出れば私の満足できそうなお話を伺えたのかとは思いますが、私の興味ときたらきっと先方様がつまらないネタになりそうですから、どちらにしろ遠慮しておいてよかったのかと思います。酒の席なら尚更です。


 確かに心残りであったのは出席者名簿にまだ私の面識が無い、藤枝蓮生寺さん(熊谷氏)、伊豆正福寺さん(北條氏)の名が記されていたものですから。またの機会といたしましょう。

 

 さて、講義内容ときたらちんぷんかんぷん。

お寺の住職のお仕事に「宗務」という言葉がありますが、本山のシステムのように難しく考えずに「宗旨にのっとったおつとめ」くらいに考えらればいいそれと、寺の運営、財務、本山護持にかかわる、特におカネの出入りに関しての「寺務」と大雑把に分ければ、今回の研修は後者の方にウェイトがかかったものでした。

 

 私の分野は「雑務」、以前も記しましたが「寺男」風・・が得意でして、それでも宗旨のお話は少しは興味深く聞く耳を持ってはいるものの、その辺の複雑な理屈となると中々「厳しい」ものがありました。 

 風邪をひいてはいけないとトレーナー2枚を厚着して向かったもののホテルの会場はあまりにも空調が効きすぎて頭の中が終止ぼーっとしていたこともありますが・・・。

二日目はシャツ1枚で臨みました。

 

 それでもシステムとして「相続講」と呼ばれる本山護持のためのおカネをお納めするという考え方は明治18年から始まったそうで、蛤御門(禁門)の変で東本願寺が焼き払われたことをきっかけとしているという話は「ほうほう、なるほど」と耳を傾けている自分がありました。