植栽のお仕事の日 伐採も少々心残り

積雪被害の報が依然流れる中、穏やかなこの日は植木いじり。

境内植栽については大体は把握していますが、「誰が植えたのだろう?」と首を傾げる植物もあります。私も好きなものを勝手に植えていますが、自然に枯れたり、台風で倒れたりこの数年でも景色が変わっています。

 

 根っからの「自称植物好き」の私は色々植えましたが逆に前住(父、十四代)は植物嫌いというか、そういう方向への趣向は皆無で、気がつくと私の植えた植栽を根こそぎ伐採するなどということが何度かありましたね。気まぐれと思いつきで行動する人です。

 

 門徒の坊さんのくせに変なこじ付けが好きで、私が栗やキウイを植えれば「実のできる木を植えるのは意地汚い」とか棘が出てしまうブーゲンを「お寺に棘のあるものは相応しくない」などの理由を突然思いついて鋸を持ったのか、何の了承も得ず問答無用に伐られることがありました。

尚、ブーゲンは乾燥地の植物で水分が多いと棘が出てしまうと言われますが、当地での地植えだと水やりのコントロールができないために、棘が多く発生する様です。 

 そもそもトゲのある薔薇についてはその指摘が無いので前住の談はおかしなものです。要は管理者(住職)の「好きなようにする」でいいのかと思います。

 

 植物を愛でるという趣向に無い前住はそれでも桜を2本植えました。

八重桜の方は当山十一代住職釋祐曜の姉の波さんが江戸を引きはらって帰郷する際に島津家から戴いたザボンの木があった場所です(今の玄関前)。

ザボンは戦後まで黄色い実をぶら下げていたそうですが突然枯れたそうです。戦時中の食糧難の時代、そのザボンを巡ってのトラブル話も耳にしたことがありますが、それでもその木の枯死は前住が特に残念がった事の一つです。

これも「実を付けるもの」ですので前住が私の好きな植物を伐ってしまう理由と大いに矛盾しています。

 私は桜よりは梅が好きです。

かといって桜をいじめるわけではないのですが、私が入寺してスグに着手させていただいた築地塀の改築工事の際に比較的大きめの、どの代に植えられたものか古い「ソメイヨシノ」を伐採してしまいました。やはり胸が痛みます。

 

 枯死以外、人間の都合で植物を殺すことは気分のいいものではないのですが、本日ずっと懸案だった「キョウチクトウ」を伐採しました。画像①矢印。

キョウチクトウは鮮やかな赤い花を咲かせてくれましたが、非常に威勢が強く成長が速いのです。それゆえ広島が原爆で焼け野原になったあと真っ先に成長したといいます。そのような理由で広島市の花になっているようですね。

成長も早いということもあり、低く抑えていくことも大変。

 

 当山は境内が手狭ですので放っておけばキョウチクトウばかりが茂るような感じになってしまうということと、地頭方のチップ処理場ではこの木は禁忌で、受入れを拒否されてしまうという理由からこの期に処理することを決めました。

受入れ拒否は毒性があるということなのですが、この材だけを焼却の方へたびたび分別しなくてはならないというのも手間となるため致し方なかったのです。

まぁ私の勝手な理由ではありますが、植栽した人の気持ちや植物のことを考えると「ごめんなさい」ですね。

 

 このキョウチクトウのあった場所、鐘楼の手前にはかつて小島蕉園が愛でたのではないかと私が勝手に推測しているソメイヨシノがあったと聞いています(某小説にそんな場面がありました)。

代わりに少し離した場に紅梅を植えました。

 

②は4.5年前に植えた枝垂れの紅梅。③はモクレン。