褌は「かく」もの 「褌の日」2.14に思う

2/14は「褌(ふんどし)の日」。

最近は各業界が自らの「商い」を宣伝して売り上げを伸ばすために海外から「新しいもの」を取り入れて恒常化させて、さも正式な文化の如く庶民を煽って、またアホらしくテレビ等マスコミも調子に乗っている感も拭えない「この日何の日〇〇の日」風のこじ付け談が1年を通じて耳目にすることが多くなっていますね。しょっちゅうです。

 まぁそれらの筆頭は年末のキリストに関わる縁日ですが、丁度2月14日という日もそれと同様、敗戦後(ポツダム宣言受諾後)大いに流行って我が国に既に完全に定着したのでしょう、世間で承認されている日になっています。

 

 ところが、「ちょっと待った」とばかりに「2.14」を「ふんどし」と読ませて、「褌の日」と銘々した人たちがいます(日本ふんどし協会)。

お上品に申せば「下帯」と呼ばれる「褌」は前者キリスト系2件と裏腹に敗戦後大いに廃れた習慣ですね。

 戦前男子「100%の普及」といってもよかったものが殆ど今では0に近いくらい洋モノに淘汰されてしまいました。夏の水遊び着など、褌は当たり前の時代が永く続いていました。

 

 私の爺様の健在の頃、洗濯物の物干し場ときたら白旗の如くに風にたなびき、その輝く姿が今でも眼に焼き付いています。

最近ではその褌の良さが見直されて、ネット上にも販路が増えていて、色々な種類が出ている様ですね。

 

「褌」という字は「衣に軍」ですので当然に戦闘用が推測できますね。室町期、例の「おあむさん」の帷子の素材と同様に麻製であったそうですが、江戸期になってから白い木綿が流布したそうです。

ちなみに現代、女性用のそれは売り出されていますが、女性の場合、昭和、つい最近まで「何も無し」が常だったようですね。

 

 「褌」は勿論「着る」とか「はく」という言い方はしませんね。「褌を締める」という表現が耳に慣れていますが「褌をかく」という言い方を昔はしたようです。

一休さんが書を(書け書けと)所望してしつこい金持ちに褌を送ったというシャレも聞きおよびますし。

 

 さて、戦闘に行く前には褌は念入りに締め直してから具足を着けていくものです。

そこから「いざ行かん」の如くに気合いを入れ直す意味で「褌を締めて」かかると現代でも使いますが、やはり本意は「死地に赴く」用意だったのです。

 戦闘で死ねば、首を掻かれて、身ぐるみ剥がされることになることは判っていますので、褌を緩みなどが無いよう確りと締め直してその時が見苦しくないよう心掛けたものです。

兜を装着する武者は「兜首」(身分の高い武者)としての威厳を保つため、いよいよ戦闘開始ともなる前には兜を留める紐をきつく縛り直し、かつ万が一解けないようコブを作って余分の紐を切って挑んだと言います。

 昔の人は死んだあとのこと、人様に見られて、できるだけ見苦しくないよう心掛けたのでした。

それにしても自分の首なし遺体の姿までイメージしてその時の用意をするなんて凄すぎますね。

 

 現代は「どう死のうか(生きようか)」選択不可、「その時」にあたって容赦なくパイプに繋げられてしまいますので自分の意志は無いのです。野に放置されて獣に喰われることなく棺に入れて頂けるだけ有り難いと思うべきでしょうか、そちらに入る前の死化粧も着衣も葬儀屋さんから派遣された担当の方の仕事に頼っていればOKの時代です。

 

 昨日記した松田康長さん、齢は七十三歳とありますが、白髪であることを見苦しく思って、墨汁で黒に染め上げてその時を迎えたそうです。

 

 一休さんの「死にとうない!!」の気持ちは皆さまも同じでしょう。

とにかく私たちは「その時」のことも(深くではなく)適度に思考しつつ、「一所懸命に気張っていく」、そこのところ心掛けていきたいものです。 

 

 画像は雑兵物語「雑兵着装布子付け」挿絵。

褌の装着について描かれています。