女神山と男神山は繋がっていた?

ローカルな話題です。

駿河湾から一目してわかる相良のランドマーク、女神山(石灰山-いしばいやま)は梛の木と同じように「雌雄一対」?、しっかり「男神山」も健在です。

ただしどう見ても世間様と同様、こちらでも「男」の方は影が薄いようで・・・最近は今一つ不明な「女子力」とかいう言葉も乱舞していよいよその「柔軟な発想」に驚かされているところです。

 

 その女神山は、ここ数十年前までは石灰の採掘で麓の工場は賑やかでしたが、最近は殆ど稼働していないようです。

私の古いモノ好きの原点は何故か「化石探し」でしたので、夏休みにこの山へ登って宝物探しをしたこともありました。

生憎こちらは大理石化している硬く締まった石質のものは少なく、それらしいものが出てもボロボロと崩れてしまうか、「フズリナ」というハッキリ言って「何だかわからない」ような化石ばかりで消化不良で帰ったものでした。

 最近ではこちらの採掘権のある石材屋さんとは懇意にさせていただいていますので、石灰を譲ってもらい、境内に敷いています。

酸性雨で溶け易いのかどんどん無くなってしまい、そろそろ追加したいところですが、山には以前のように重機が無いのでいわゆる「手積み手おろし」。

思いやんでいるところです。

 

 石灰の効用は結構見逃されていますね。

木造住宅等の縁の下に敷けば、害虫の発生を抑えることができますし、農地に耕せば酸性土壌を中和したりの土壌改良は勿論、石灰そのままでも肥料としての効果があります。実の所相当量の石灰を仕入れて、本堂の下に敷いてみたいというのが本音です。

 

 数年前の当山本堂の棟が崩れた駿河湾沖の地震(牧之原市震度6.5弱)ではこちらの女神山は形が変わるほど崩落しました。

地震直後に山へ上がりましたが、2~3mはある塊がゴロっと崩れ落ちて、もしあの時ここに居ればきっと生きた心地はしなかったろうと思った次第です。

 

 この石灰の山は遠方からも一目でわかる威容を誇る姿であって、古来より当地有力者であったならばだれもが「この山に砦を築けたら」と思ったことでしょう。

しかし、脆く崩れやすい石灰質の山であることから、女神、男神双方とも山頂に社程度の小さな建物がある以外は何らの建物の存在や人が籠ったという話は聞いたことがありません。

 

 女神・男神を一つに繫げた隆起性サンゴ礁の地層を萩間川(相良川)が長い時間をかけて穿ち削ったのが当地であったことが想像できます(場所はここ)。

 

画像①~⑤が女神山周囲から。⑦が男神山と神社入り口。

女神の方は登山道がありますが、男神には到底登る気には成れないほどのただのトンガリ山です。

次に大きな地震がきたら双方とも形が変わるほど崩落すると思います。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    とらべらー (土曜日, 08 4月 2017 00:58)

    十数年前に、男神北側からアタックして山頂に行きました。頂上には、近隣の学校(萩間小学校)の生徒登ったという看板が立っていました。ハーケンなどの登山具がありましたので間違いないと思います。私はカメラを持っていなかったので、頂上の木に、自分の名前を他を書いたバンダナを縛り付け

  • #2

    今井一光 (土曜日, 08 4月 2017 07:05)

    ありがとうございます。
    男神山の登頂へのチャレンジは考えた事もありませんでした。
    地元でも女神山ですら今時の子供は行かないようです。
    特に男神は「崩壊したら・・・」の思いがどうしても頭から離れませんね。
    あの山というか崖にとりついたとしたら強者です。