袋井市のヤル気 木原の一里塚

袋井については遠州同郷ではあるものの、親類縁者、檀家さん等がたまたま不在のせいか、日頃は縁の薄い場所です。

以前は馬伏塚城の散策くらいだけでしたが近ごろは浅羽の袋井支所に出入りしたりと、当地の岡崎や浅羽付近に限っては、まぁなんとか自分の立っている場所程度はわかるようになりました。

 

しかし、国道1号バイパスや東名高速の利用で磐田・浜松や三河以西に直行できるという理由もあり、袋井の旧東海道を通過するという機会はそうありません。

 

木原畷はその旧東海道脇にある古戦場ですので、ここ木原を散策するにはどうしてもその道を使用しないわけにはいきませんでした。

 

こちらに参って気が付くことは、袋井市が「町おこしとして街道筋の遺構を整備し、わかり易く記す」という姿勢が伝わってくるということですね。

かつての東海道という大幹線道路の「宿場町」であったという重大な歴史的事実を市民の宝物にするが如く、それらに纏わる多くの遺構を整備し直して、看板等の案内を設置しています。

 

世の健康ブームから日坂・掛川辺りから旧東海道宿場町をウォーキングするという人たちが増えていますので、それらブラッと当地を訪れる観光客への対応としても是非に見習いたい方向だと思います。

直接オカネの投下が見込まれるわけでもないことですから市そのものの考え方も余裕があって羨ましいところです。

 

一例として木原の一里塚を(場所はここ)。

通常一里塚の案内は一里塚そのものの概略を記した看板と一つの石碑で記すというのが一般的ですが、こちらの一里塚については少々念が入っています。

市の教育委員会が主となって「本物の一里塚」を復元しようと皆で気張ったあとがうかがえます。

 

文献等を精査し

①移植する樹種は「榎」②塚直径は五間(約9m)高さ1.5間(2.6m)③藤枝上青島一里塚等多くが平面多角形ということから下段に石積み三段の方形基壇の設置等々、地元住民の手を借りての復元であったことも記されています。

 

④は掛川宿と日坂宿の間にある「伊達方一里塚」、こちらは「榎」ではなく「松」です。日坂も「松」でしたね。